Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

4月21日活動予定

【次回(4月21日)CEC活動予定】

TOPIC:Language(言語)

1. What images are you in mind when you hear the word ‘language’ ?

2. What kind of language learner are you ?

3. What is the best way to learn a language ?

4. Show us an impressive quote or proverb related to language.

5. If you were to express the meaning of language in one kanji, what would it be ?

 前回「学び(Learning)」について話し合い、思った通り、今の私たちの学びの核に「英語」があることを再認識しました。一方、「英語を通じ、日本語を深める」という視点も少なからずあると感じました。また、長瀬さんのように、仕事上で外国語を求められるような場合はきっと、私には体験したことのない「言語感覚」をお持ちでしょう。「多様性」の時代には、言語も多様化を迫られ、言語(学習)が私たちの生活はもちろん、思考に及ぼす影響は計り知れません。日本人と英語とのスタンスも何らかの変化が生まれるかもしれません。いずれにせよ、人類の進化、文明の発展の最大の原動力が言語であることは言うまでもなく、それは今後も何ら変わることはありません。幸いにして、私たちは「英語」という言語に、個々に魅力を見出し、それを学ぶことで、日々の生活に精神の潤いを得ています。メンバー内では至極当たり前のことですが、それはだれにも当てはまるものではありません。言語学習を楽しめる人とそうでない人、言語習得を得意とする人と苦手とする人、そこにはどんな違いがあると思われますか?英語に限らず、広く「言語」について語り合いましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 5月13日(日) 

4月7日活動報告

【4月7日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>5名(男性3名 女性2名)内田さん・小枝さん・徳丸さん・長瀬さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 桜の盛りだったこともあり、近況報告は「桜」が次々と話題になった前回のCEC。「桜の通り抜け」で知られる造幣局(本局)の花見をされた内田さんは、ネット事前予約でゆったり楽しまれたようです。徳丸さんは自宅窓からはもちろん、例年通り、JR岐阜周辺の桜を、長瀬さんは早朝散歩でご近所の桜を楽しまれていました。「桜の盛りの美しさと散り際の儚さを見るたびに、自分が日本人であることをしみじみと感じる」といわれた長瀬さん。昨今、多くの外国の方々が日本で花見をされますが、彼らはどんな思いでみえるのでしょうね。私にとっては、桜といえば、校庭の桜。とりわけ、新任校に赴任する際は、各学校の風評を聞き、何となくブルーな気持ちで見上げていたこともありました。とはいえ、桜の盛りは、年度初めで超多忙。腰を据え、花見をするような気持ちにはなれないことが多かった気がします。小枝さんは「新年の決意」ならぬ、「新年度の決意」として、「ガーデニング」について話されました。岐阜の極端な暑さや寒さに弱い「一年生植物(annual plant)」の栽培は、先々まで視野に入れた地道な取り組みで、確かに「決意」が求められると思いました。力を入れてみえるクリスマスローズなどの栽培が、文字通り実を結ぶことを祈っています。私は先週、自宅庭の剪定に初めてチャレンジ。この時期に、父が行っていた作業の大変さを痛感しました。枝のカットは思ったよりはできたのですが、カットした枝などの片付けがなかなか。秋口はこれまで通り、庭師さんに入ってもらいますが、多忙の合間に庭の世話を心がけていた父の遺志を継ぎ、春先はできるところまではやっていこうと思います。小休止をはさんで、「学び(Learning)」のイメージ交流。小枝さんは参考書片手に「小5算数の文章題」に粘り強く取り組む過程で得られた充足感が、主体的な学びの原点だといわれました。それは大学生活に至るまで脈々と息づくとともに、「努力は報われる(Efforts pay off.)」という自身の人生観にもつながったということでした。内田さんは「知識を得る(学生時代)」ための勉強から、「ヒントを得る(社会人)」ための学び、さらに「生涯学習(lifelong learning)」へのシフトについて話され、「主体的な学び」の大切さを感じました。長瀬さんは「学びは人生(Learning is life.)」と清々しく話されるとともに、積極的な姿勢(positive posture)」の有無や大小が、問題解決能力を高めていくことに言及されました。さらに、「人間と動物との学びの違い」として、小枝さんから「主に母親から本能的な行動様式を学ぶ動物に対して、母親や家族はもちろん、地域や国家、そこに根づく伝統や文化、習慣などから学び続ける(べき)人間のあり方」について、たいへん貴重な示唆をいただきました。私のイメージは「学ぶ(learn)」という単語に「耳(ear)」が入っていることでもわかる通り、「学びは(まず)聞くこと(Learning is listening)」から。「耳学問(learning by ear)」は学びの入口であるとともに、学びの裾野を広げる鍵になると思います。長瀬さんはさらに「聞く耳(good ear)」の必要性を話されましたが、私は心当たりが少なからずあり、苦笑い。というのも、元来頑固な上、最近は加齢(?)でその傾向が強まっていると自覚することがある私は、「聞く耳」は心すべきだと痛感していたからです。年長者にはあえて(or あまり)進言しない土壌がある日本社会では、年長者が柔軟な心で若者に接していかないと、新たな学びの機会が遠のいてしまうといえなくもないですね。また、ネットの普及で、情報が手軽に入り、「わかったつもり」になり、「広くは学ぶも、深くは学ばない」といわれる一部の若者の存在も話題に上りました。SNSでは「いいね」ボタンなどで、意見の主流が作りやすい一方、他者の意見に安住し、自ら思考することが(少)ない若者もいるのでとの意見もありました。「思い出深い学び」では、小枝さん、長瀬さんから、個々の「英語学習」の分岐点になったご体験をいただきました。小枝さんは、学生時代には不完全燃焼だった英語学習に、社会人になり、中学生に英語を教える機会を得たことで、異なる視点からチャレンジ。それが自身のアイデンティティの見直しにもつながったと話されました。長瀬さんは、海外留学により、自分がいかに井の中の蛙だったかを痛感し、「無知の知」を得たことで、その後の英語学習に磨きがかかったとのことでした。私自身は小枝さんとかなり似ていて、「学ぶ英語」から「教える英語」にシフトしたとき、「教えることと学ぶことは別物(Teaching is quite different from learning.)」を試行錯誤することで、英語はもちろん、人間(性)や人生について学ぶ機会を得ることができました。その中で、「自分のために勉強する」ことと「だれかのために学ぶ」ことの違いを体感でき、「社会貢献(social contribution)」は、学びの大いなる動機になり得ると確信しました。「学びの箴言 &学びの漢字一言」では、「人間は考える葦である(Man is a thinking reed)小枝さん」「今日の全力が明日の最善を作る(Today’s effort create the positive results of tomorrow.&攻)長瀬さん」「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり 徳丸さん」「創 内田さん」が出ました。そのどれもが「学びの本質」にふれた名言ですが、とりわけ、アパホテルの「歯ブラシセットの袋」にあった言葉に目を留め、実物とともに紹介された長瀬さんは、ふだんから「学びのアンテナ」が高いのではと感じました。私の「学び(learning)」は前述した通り、「聞く(listening)」から始まります。その後、思考の「間(interval)」をとり、自分に必要なことを明確にした上で、相手や周囲への適切な「問(ask)」を心がけつつ、最後に自分の「答(answer)」を出していく。「学び=問答」といわれますが、私にとっては「学び=聞間問答」。とりわけ、「聞間」の豊かさがあってこそ、「生涯学習(lifelong learning)」はより広がり深まると思います。

4月7日活動予定

【次回(4月7日)CEC活動予定】

TOPIC:Learning(学び)

1. What image are you in mind when you hear the word “learning” ?

2. Have you ever had a memorable learning experience ?

3. Do you believe that continuous learning leads to personal growth

4. Show us an impressive quote or proverb related to learning.

5. If you were to express the meaning of learning in one kanji, what would it be ?

 前回「試験を漢字一文字で」について、昭和世代が「挑」「試」「向」とポジティブ全開だったのに対して、受験の現役世代である酒井さんが「耐」の一言をかみしめられたことが印象的でした。学生時代は「授業」には評価が、「受験」には合否が伴い、個人差はあれど、大なり小なり、「勉強(勉め強いられる)」せざるを得ない環境下にあります。その結果は順風満帆とはいかず、スランプあり、プレッシャーあり。勉強が負担に思えることもしばしばで、酒井さんのいわれる「耐」という気持ちにはだれしも心当たりがあるでしょう。一方、学校や職場など、いわゆる「勉強の第一線」から離れた今、CECにおける英語学習をはじめ、折々の「学びの機会」にいそいそと足を運んでいる自分がおり、「人間は生涯学び続ける存在」だと感じています。次回は、個々の「学びの意味(の変遷)」を交流しながら、私たちの学びを後押ししてくれるような「学びの至言」を出し合い、深めていきましょう。さらに、「心豊かな学び」について、個々の独自の視点から意見を聞かせていただけたら幸いです。この例会後の互いの学びにさらなる弾みがつくことに心から期待しています。

 

【今後の活動予定】☞ 4月21日(日)  

 

 

 

3月24日活動報告

【3月24日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)内田さん・小枝さん・酒井さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

  1ヶ月ぶりのCECは、小枝さんの「大谷翔平選手の話題」からスタート。野球一筋で、当面は結婚はおろか、女性との真剣交際は難しいと思われていた彼のおめでたい電撃婚から一転、昨今の彼は通訳の賭博事件の渦中に。「事実は小説より奇なり(Truth is stranger than fiction.)」の急展開に、彼の新天地での出鼻にパフォーマンスが水を差されることのないようにと祈るばかりです。内田さんは「日本語教師養成」の模擬授業をひとまず終えられ、授業ごとに手応えを感じられる一方、課題もまた見つかり、教えることの何たるかをさらに実感されたようです。「教えることは学ぶこと」といわれますが、何を教えるにせよ、「教えれば教えるほど、課題が見つかり、教育に終わりなし」と感じられることこそ、僭越ながら、「真の教育者」へのスタートだと私は思います。酒井さんは迫ってきた大学院への入学に備え、課題に向き合いながら、充実した日々を送ってみえる様子が、その凛々しい話しぶりからもあふれていました。学生時代の専攻と今後の専攻を鑑みながら、新たな学びにチャレンジしていく意気込みをお聞きすると、学生時代に「歌を忘れたカナリア」のごとく、「学びを忘れた学生」で過ごしておきながら、本当にうらやましくて仕方がありません。私としては、今後折々に酒井さんから「大学院レポート」をいただきながら、間接的にキャンパスライフを味わえたらと思います。酒井さんの近況をうかがった後、今回のトピック「試験(Examination)」に入りましたが、人生の転機となる試験を終えられたばかりの酒井さんはもちろん、他メンバーから個々の入学試験や就職試験、資格試験などについて、多岐にわたるお話をいただけたので、たいへん実りあるチャットができました。「試験のイメージ」では、私以外の3名は「入学試験」をイメージされ、さらに小枝さんと内田さんは「たいへん(tough)」の一言を添えられました。とくに、小枝さんは高校入学後の日々の小テストの煩わしさを指摘される一方、それらが「塵も積もれば山となる」式の「知識」としてストックされたことが、間違いなく入学試験につながっていったことも自覚され、試験の大小にかかわらず、個々の目標や心がまえで、その成果は変わってくるとお考えでした。私が「試験」からイメージするのは「ライバル(rival)」。元来「学習意欲」が希薄だった私は、自身のモチベーションを上げるために、身近にライバルを設定。試験のたびに、結果を見せ合っては一喜一憂し、何とか勉強を続けました。他メンバー、とりわけ、酒井さんは世代がかなり異なることもあってか、そんな友人関係はあまり身近なものではなく、すべての試験は「自分に始まり、自分に終わる」。目標設定から結果、振り返りに至るまで、「自分」を軸に進めてみえました。「忘れ得ぬ試験」では、小枝さんがご友人の一人が「国際観光ガイド」の資格試験に向けて、並々ならぬ準備をされ、見事その栄冠を勝ち取られたお話をされました。私も最近、寄る年波を感じることがありますが、年齢にかかわらず、「学びに限りなし」を実証されたご友人に、とても勇気をいただきました。酒井さんはつい先日まで取り組んでみえた「大学院」へ向けた諸準備について話されました。いわゆる「赤本対策」に代表される従来の試験形式ではない、限られた質問に対し、より広い、より深い解答を、詳細な思考過程とともに記述しなければならない試験の難しさ。さらに、それと同様の面接試験は、従来の試験勉強を越えた、自身の生き方や価値観にもふれるところが多く、「自分らしさ」を自在に表現できるやりがいとともに、答えのない答えを生み出すご苦労も少なからずあったようです。それが実を結んだ今、酒井さんの内面には、これまで以上に「学びの種」がしっかりと蒔かれたのではないでしょうか。私にとっての忘れ得ぬ試験は「教員採用試験の集団面接試験」。人生初の緊張した面接試験のお題は、例会でお話した通り、「校庭に三日間連続で置きっぱなしだった学級ボールを手に、学級担任として一言」。第一印象「それが何か?」、第一意見「どんな罰則?ペナルティ?」と考えていた私の目の前で、他の受験生が見せた「ボールを擬人化して、ボールの気持ちになろう」式の教師役と生徒役のかけ合いは、当時の私にはただただ衝撃で、その場では、自分が教師としての感性が欠落した前近代的な受験生のようにさえ思えました。「受験生へのアドバイス」としては、「試験はあなたの価値と知性を決めるものではない(Exams don’t define your worth and intelligence.)小枝さん」「急がず、落ちついて、集中(Don’t rush. Calm down. Just focus.)酒井さん」「試験前後それぞれにすべきポイント 内田さん」をいただきました。そのいずれもが「試験は他者と競うものではなく、自分と向き合うべきもの」というコンセプトが感じられ、個々の「試験観」にとどまらず、その「人間観」「人生観」が強く出ており、たいへん興味深く拝聴しました。いずれにせよ、試験(結果)に振り回されることなく、試験を生かし切る。すべての試験を、人間的に脱皮してきっかけにするくらいの積極性があった方がよいと思いました。「試験を漢字一文字で」は「挑(小枝さん)」「耐(酒井さん)」「試(内田さん)」「向(小野)」が出ました。「生涯学習」が標榜されて久しい日本社会においては、小枝さんや内田さんのいわれるように、個々の人生のステージに応じた資格試験などに積極的に挑む。もちろん、酒井さんのいわれた通り、人生の大一番となる「節目の試験」においては、万全の準備をしつつ、結果が出るまではあらゆる面で耐えることが求められるでしょう。そうした試験のあれこれを踏まえつつ、私は「試験」には「自分と向き合い、自分を向上させ、自分の向き不向きを見つける」という三つの「向」の過程が不可欠だと考えます。また、古き試験の日々に少なからず懐かしさが湧き上がるところに、試験の真の意味がある気がしました。

3月24日活動予定

【次回(3月24日)CEC活動予定】

TOPIC:Examination(試験)

1. What image are you in mind when you hear the word “examination” ?

2. Do you have any unforgettable memories related to examination ?

3. What are some benefits or challenges of examination ?

4. What advice or quotes would you give to exam takers ?

5. If you were to express the meaning of examination in one kanji, what would it be ?

 前回、酒井さんの合格通知には感慨深いものがありました。とともに、毎年くり返される「受験シーズン」を通じ、たくさんの受験生がその結果に一喜一憂するだけでなく、受験勉強から多くを学んでいるのではないかと思います。個人差はありますが、知識だけに止まらない、その後の人生の糧となるようなものを得る受験生も決して少なくないと私は思います。かつては「受験戦争」という言葉に代表されるように、受験を害悪視する向きも根強くありましたが、それも試験形式の多様化とともに少しずつ変わってきています。みなさんにとって、「試験」はどんな存在でしたか?時の流れとともに、その存在は何か変わりましたか?「受験」に限らず、考えようによっては、私たちの人生は折々の有形無形の試験の連続ともいえます。「就職試験」「資格試験」などの「公の試験」は言うに及ばず、少し極端かもしれませんが、ある意味で、「結婚」などは異性に試験されているといえなくもありません。次回は、「受験」はもちろん、広く深く「試験」についての経験などを語り合いながら、その意義にもふれていけたらと考えています。

 

【今後の活動予定】☞ 4月7日(日)  

 

 

2月25日活動報告

【2月25日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)内田さん・酒井さん・長瀬さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 何をおいてもおめでたい酒井さんの進路決定からスタートしたCEC。報告される酒井さんの口からは、新たな決意あふれる、若々しいお言葉が続き、改めて本当によかったと一同笑顔になりました。私自身、気にはかけていながら、自分に経験のない大学院受験。想像できないデリケートな問題であり、ただ心の中で祈るのみでしたが、酒井さんのさらなる清々しさに接し、持ち前の勤勉さが院でさらに花開くものと確信しています。オリエンテーションはオンライン、アバターも登場。早速に大学時代とは一味違う大学院生活をスタートされているようですが、何事も経験。次のステージに向かい、実りある新生活に期待しています。私は自分への「お年玉プレゼント」として購入した「75インチテレビ」とのエキサイティングな日々をお話しました。友人宅の居間で見かけた同サイズのテレビ。よく「テレビは部屋の大きさに合わせた購入を」みたいなことがいわれますが、彼の自宅の居間にどんとかまえるテレビはダイナミックながら、何一つ違和感なし。さらに、見るほどに、室内を優雅にしてくれていることがわかり、私は「令和6年正月は大型テレビ三昧」を期して、購入を決意。結論からいえば、私には大正解。とくに、撮り貯めた洋画の字幕、また、スポーツ中継の迫力、You Tubeでのお気に入りなどを見ていると、数時間があっという間。かつての“テレビっ子”が“テレビおやじ”になって帰ってきた感じです。画面の迫力は室内をいつもシアターのように彩ってくれて、心はゆったり。ただ、慣れは怖いもので、購入当初の感激は少しずつ薄れており、「今度買うときは85型」などと思ったりしています(まちがっても、家族にはいえませんが…)。例会では「個性」についてのイメージからスタート。キーワードとして、equality,difference,advantage,uniqueness,originality などが挙がり、そのすべてがポジティブで、互いに尊重すべきものというイメージでした。酒井さんは、しばしばステレオタイプでとらえられがちな「大阪人」を例に、その同質性を認める一方、個々の家族はもちろん、その属する集団や環境、さらにその組み合わせにより、「個人の数だけ個性がある」ことを具体的に話されました。私は「個性(individuality)」をその語源なども踏まえ、「個人と切っても切れないもの(=impossible to divide)」と考えているので、少し何か、どこか変わっている程度で「個性」と騒ぎ立てる風潮には疑問を感じています。それは個々の人間(性)の核となるもので、その人を最も特徴づけるものであり、隠そうと思っても、知らず知らずのうちにあふれてしまうようなものだと思います。また、「個性(individuality)」と「適合(conformity)」は軽重つけられるものではなく、「共存(coexist)」できるものという意見でまとまりました。一方、時代や教育などによる意識の差があり、昭和世代は「適合(集団)あっての個性(個人)」という意識が今も強い気がしました。そこに「昭和の学校教育」の影響が色濃く出ていることは明らかで、話し合いでは個々の学校時代の話でけっこう盛り上がりました。酒井さんは、中学校(管理教育)から高校(自由教育)では急激な変化に見舞われ、高校入学時は学習へのモチベーションを一時見失うほどだったそうです。多くの点で、教師からの「上意下達」がメインだった中学校と異なり、校則なども生徒で話し合うなど、「上意≒生徒の自主性」だった高校は、中学時代の拘束から一気に解放された酒井さんには、その自由を享受し、自身の個性を発揮するには少し時間を要したようです。それでも、当時少しずつメディアに取り上げられ始めたLGBTの流れを汲むかのごとく、「制服自由化」を享受する生徒たちをごく当然のものと感じられた彼女は、当時の「個性感覚」においては、時代の最先端だったのではないでしょうか。一方、大学空手道部で「適合」を越えた「ヒエラルキー」に過剰適応していた私は、学校現場に入り、いきなり「個性推進」の先導役となり、本当に戸惑いました。まず自分が「自己表現」できる主体として、生徒の前に立つ。幸い「英語科」は「コミュニケーション」というコンセプトを浸透させていく過渡期にあり、私はその流れに乗って、教科を通じ、自身の個性を磨いていきました。23の春の自分から想像もつかない自分になれたのは、仕事を通じ、「個性」という言葉の意義を周囲の人たちと追い求めつつ、よき人、よき環境との出会いを重ねてこられたからです。この齢になり、そのありがたさを思わずにおられません。とはいえ、21世紀初頭に「個性化教育推進校」に勤務した折り、「個性発揮」をあまりに強力に推進したためか、少なからぬ生徒がそのプレッシャーに萎縮していたことも思い出されます。「個性と没個性」は紙一重で、「個性と適合」のバランス感覚は不可欠です。また、某学校では「自分勝手(selfishness)」を「個性」と言い張る生徒、さらに、その保護者に辟易とさせられたこともありました。個性は尊重されるべきものですが、バランス感覚を著しく欠いている人が少なくない昨今、「社会規範(social norm)」などの歯止めもまた不可欠。個性を集団との共存共栄はやはり難しい面もありますね。それでも、長瀬さんのご意見にあった通り、SNSなどの「自己表現」の場が広がった昨今、個性を埋もれさせていくには惜しい時代となりました。できれば、社会還元や社会貢献にもつながるような心豊かな個性が広がっていけばと思います。「個性を漢字一字」にすると、内田さん(創)、酒井さん(多)、小野(独)が出ました。さらに「創造(creativity)」「多様性(diversity)」「独立(independence)」をイメージ。私は「独自(originality)→独特(speciality)→独立(independence)」を「個性獲得3ステップ」として紹介させていただきました。今回も個々の経験も交え、楽しくチャットできました。

 

 

2月25日活動予定

【次回(2月25日)CEC活動予定】

TOPIC:Individuality(個性)

1. What image are you in mind when you hear the word “individuality”?

2. Do you think individuality is more important than conformity ?

3. What are some benefits and challenges of individuality ?

4. How does individuality shape your identity and personality ?

5. If you were to express the meaning of individuality in one kanji, what would it be ? 

 前回、友の多くは「共通→共感→共有→共鳴」という過程を経て、「親友」になるのではないかと話させていただきました。キーワード「共(sharing)」を抜きに、「友情」は語れません。「親友」にポジティブな漢字を充てれば、「心友」「信友」「真友」「伸友」「進友」「清友」「深友」などがイメージされる一方、ネガティブな漢字を充てると、「臣友」「振友」「震友」「針友」「侵友」などがイメージされ、友が私たちに及ぼす影響は看過できません。また、ここで挙げた「ネガティブな友」は、今風にいえば、「マウントを取りに来る」ことも少なくなく、友が一転、厄介な存在になることも。まとめではその辺りの話が出て、相手の「個性が強すぎる」ことがときに友だち関係を躊躇させる一因になるという意見も。ずいぶん前から、教育界はもちろん、実社会において、さかんにいわれている「個性」の大切さですが、その受け止め方には、個々の温度差があるばかりか、そもそもその「定義」にばらつきがあるように思います。次回は、古くて新しい言葉「個性」について、個々の切り口から、堀り下げていきましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 3月10日(日)