Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

6月5日活動報告

【前回(6月5日)CEC活動報告】

<参 加 者>5名(男性4名 女性1名)大口さん・小枝さん・徳丸さん・松本さん・小野

<活動時間>14:00~15:30

<活動形態>Zoomミィーティング 

 例年より早く長い梅雨の最中にあり、夏の陽射を思わせる日々が続く中、6月最初のCECには、久しぶりに大口さんが参加され、今ではメンバーとして定着していただいた松本さんとファースト・コンタクト。それぞれに新たな出会いを楽しんでいただけたようです。ウォームアップ・チャットでは、「大口さん・松本さん・小野」の「トリオ・チャット」で、松本さんからの≪9.11≫の貴重な記憶を語っていただきました。当時アメリカに滞在されていた松本さんが肌で感じた9.11は、日本で私たちが感じたそれとはかなり異なり、「所変われば…」以上のインパクトがありました。とりわけ、本土を攻撃された事実を「パール・ハーバー」になぞらえ、メディアが連日一斉報道する手法には、「民主主義国家」アメリカの別の顔を見た思いさえしました。いずれにしても、「百聞は一見しかず(Seeing is believing)」。みなさまも、ご自身の体験などを通じて、サークル・メンバーに紹介したい、サークルで意見交流したい思われる適切な話題がありましたら、私の方にお知らせいただけたら幸いに存じます。よろしくお願いします。5分間の小休止後、14時40分からは「メンバーズ・トピック」による「トピック・チャット」に初チャレンジ。5月最後のCECで、快く引き受けていただいた松本さんが「好きな英語の名言」を紹介されました。私にとっては、「聞いてびっくり、されど、すっきり」だったその名言。それは崇拝するブルース・リーの名言中の名言といえる”Mistakes are always forgivable,if one has the courage to admit them”。今回は「間違い(mistakes)」という言葉のイメージに始まって、そこから派生する個々の思考や体験などまで話が広がり、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、かなりアクティブな話し合いができたと私は思います。イメージとしては、幼少期から少年期にかけて、「家庭教育」「学校教育」ともに、それを「ネガティブ」にとらえがちな保護者や教師が少なくなく、「自分も含め、周囲の子どもたちの多くが『間違えない』ことを何より優先していた」といわれた方がほとんどでした。さらに、社会に出てからも、日本の企業はもちろん、さまざまなコミュニティにおいても、同様のメンタリティを有する組織や集団は少なくなく、そんなメンタリティは「間違えたくない→そのために人前での自己表現は極力抑えるor しない」となり、それがいわゆる「日本人気質」になっているとのご指摘もありました。他国に誇れる「和の精神」は一面、「出る杭は打たれる」式の「村社会の掟」となり、功罪相半ばすることもありうると感じました。ネット社会の到来により、「グローバル社会」が日々加速する昨今、この「日本人気質」がもたらす弊害は今後看過できません。国内で「横並び意識」や「事なかれ主義」でお茶を濁すうち、国際社会の後塵を拝すことなきよう、「日本(人)も変わらなければ」と私は思います。日本の美風は残し、「家庭・学校・社会」三位一体で、「国際的競争力」にも長けた「新時代の日本人育成」が望まれます。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 「mistakes(間違い)」を怖れる「日本人気質」が「学校・家庭・社会」の複合的な要因による、重層的な構造の中で生まれていることを再認識した前回のCEC。学校教育は今なおその影響下にあり、とりわけ「英語教育」においては、「文法」「語彙」の正確さに縛られて、「間違い」を怖れるあまりに、「自己表出」「自己表現」を躊躇する子どもたちが今も多く、「英語スキル」以前の「コミュニケーション・スキル」に大きな課題があります。やや極論ですが、日本人の「DNAレベル」に根ざした問題だけに、一朝一夕の解決はありえません。前述した「学校・家庭・社会」三位一体の意識改革から行動改善が求められますが、まず何より「国家百年の計は教育」にあり。あらゆる教育現場における、親や教師の「間違い」に対する認識の変容こそ急がれますね。リーは「間違い」を“always forgivable”といいましたが、それはもちろん、「いつでも間違えてもよい」ということではありません。東洋人初ハリウッドスターを目ざす彼が行く先々でぶつかる数限りない試練には”go for broke(当たって砕けろ)”の精神が不可欠で、失敗や間違いを口実にし、物事を躊躇することは許さ(れ)なかったと見るべきでしょう。この至言の本質ともいえる”No mistake, no achievement(challenge, success).”にこそ、目を向けるべきです。その上で、”acceptable””shareable”などの感性を育てつつ、間違いは「正す」だけでなく、「生かす」「共有する」という発想に立ち、「間違いから始める教育≒間違いを宝にできる教育」が広がってほしいものです。