Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

4月9日活動報告

【前回(4月9日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)小枝さん・鷲見さん・徳丸さん・小野

<活動時間>14:00~15:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 満開の桜が、ところによっては桜吹雪となってちらほら舞うようになってきました。絵に描いたような春爛漫の陽気が続く中、しかし前回CECは思いも寄らないハプニングに見舞われました。私がZoomを訪れると、小枝さんがお一人で、何やらあれこれと声かけ。一方、通常であれば、和やかにやり取りをされている徳丸さんは、姿は見えど、声は聞こえず。しばらくして、不具合で徳丸さんの声が届いていないことがわかり、私も改めて「招待メール」を送ってみたり、電話を通じ、わかる範囲内で操作のアドバイスをさせていただきましたが、結局は復旧ならず。「便利さの陰に不自由もあり」と痛感させられました。徳丸さんにはオブザーバー参加をお願いしましたが、受信のみで、発信なしのご参加で申し訳なく思いました。次回改めて、前回の分を取り返していただければ幸いに存じます。ペア・チャットでは、近況報告として、小枝さんと「花見」の話をしました。話の流れで、私は恵那の地(山岡町)における東濃の遅い花見を思い出しました。来日直後のALTを案内するようにいわれた私は、自身の気分転換も兼ね、彼の地で最もにぎやかだった隣りの明智町の桜の名所へ彼女と出かけました。「春先の花見に勝るもてなしなし」と密かに自負していた私。ところが、花見を終えて、山岡へ戻った彼女から聞いたコメントは寝耳に水でした。「外国人も人間だ(Foreigners are people,too)」。23歳で何となくあどけなささえ残っていた彼女が躊躇なく、吐き捨てるように呟いた言葉。同伴していた私はまったく気づいていませんでしたが、当時の田舎町の道行く人々が彼女に注いでいた好奇の眼差しは、若い彼女には耐えがたいものだったのでしょう。自分の責任ではないにせよ、春休み明けの授業がしばらく何となく気まずかったことを今もよく覚えています。もちろん、彼女は当時、数少ない「文部省英語指導助手(MEF)」で、プロ意識の高い女性だったので、そんな気持ちは微塵もなかったとは思いますが…。このエピソードをきっかけに、私たちは中学校のALTについて、意見交流しました。小枝さんの知り合いの中学校英語教諭がスランプに陥ったALTを公私ともにサポートし、たいへん感謝されたという話は、ALT稼業の裏側を如実に語っており、とても興味深く聞かせていただきました。そのALTは、岐阜大学附属中学校で健気で勤勉な子どもたちとふれ合い、ALTの醍醐味を味わった後、公立中学校に配属され、そこで多様(?)な生徒たちの現実にぶつかり、理想と現実に立ち往生していたとのこと。「校内研究体制」が確立し、師弟ともに一つの方向に向かい邁進している学校と、日々の多種多様な問題行動に疲弊し、共通理解や共通行動がとりにくい学校との違いは、現場の教師や生徒ばかりか、ALTにも少なからず影響を与えることを痛感しました。というより、校内では微妙な立場にあるALTだからこそ抱える苦悩が尽きないのかもしれません。昨今のコロナ禍においては、問題が山積するばかりか、複雑多岐にわたって、教育現場の混乱は深まる一方でしょう。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 私から急遽お願いしたテーマ「ウイルスミス(Will Smith)」。過日のアカデミー賞授与式でのハプニングの興奮が冷めやらないうちに、みなさんと意見交流できたことで、事件の背景から多くの学びを得ることができました。キー・ワードとなったのは「暴力(violence)」。「言葉の暴力(verbal violence)VS身体的暴力(physical violence)」と考えた場合、そのどちらも許し難い行為ではあるものの、法(客観性)の観点から明確な基準のある「身体的暴力」はその理由を問わず、決して許されないことを再認識しました。とはいえ、今回問題となった「外見上の、しかもそっとしておいてほしいこと」で、公の場において笑いをとるデリカシーのなさには、身体的暴力に勝るとも劣らない暴力性を痛感します。それが、病気はもちろん、「女性の命」とさえいわれる「髪」の問題だっただけに、クリスの「ユーモア・センス」を疑ってしまいます。そもそも、「ユーモアとは何か、ジョークとは何か」と考えると、定義はあっても、実際の適切な運用は相当難しいものだと感じました。このジョークはリハーサルにない、クリスのアドリブの独断によるものだったとのことですが、心ない一言のために傷ついたスミス夫妻もちろん、同じ病や頭髪問題に苦しむ人々、栄えあるアカデミー賞授与式に関わる人々、世界中の映画ファンに及ぼした影響を思うとやり切れません。日本人は心情的にスミスに同情する向きもありますが、多様性に寛大な米国にあっても、暴力だけは絶対に許されない一線ですね。