Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

8月6日活動報告

【前回(8月6日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性1名 女性3名)小枝さん・鷲見さん・長瀬さん・小野

<活動時間>14:15~15:40

<活動形態>Zoomミィーティング

 コロナが予断を許さない状況下、外出もままならず、改めて「ステイホーム(Staying Home)」が見直されています。CECでの「英語でチャット」は私にはもってこいのストレス発散です。一方、前回再度Zoomに不具合が起こりました。2つのリザーブの一方(14時50分~15時30分)を開始してしまい、肝心の14時スタートのセッションが開けていなかったのが原因のようです。初歩的なミスで、開始時間が遅れ、徳丸さんの参加が滞ってしまい、申し訳ありません。次回以降、善処をさせていただきます。近況報告では、「スティーブ・ジョブズ」の「スタンフォード大学卒業式名スピーチ」を長瀬さんから紹介していただき、その中にある「点(dot)」「ハングリー(hungry)」の2語について、おしゃべりが弾みました。彼は卒業生たちに向けて言っています。人生は見通せるものではなく、「点=毎日(の努力)」あってこそ、それが少しずつ「線(成果)」になって、「面(成功)」につながっていくものと。彼ほどの稀有なタレントでも、まっすぐに線を引けたり、まっすぐに面を作れるものではなく、地道に点を刻んでいた。その一点だけ見ても「人生に王道なし」。「努力に勝る天才なし」を痛感します。「常にハングリーであれ、常に愚か者であれ(Stay hungry. Stay foolish.)」。最後にこう結んだ彼の波乱万丈の人生。一度はスピーチを味読したいものです。トピック・チャットは「スクリーンタイムと今時の子どもたち」の話からスタート。「ついこの間、オンラインゲームを始めたと思っていた孫が、この頃ではネットで未知の対戦相手を求めている」と小枝さん。成長期にある子どもたちの心身の健康上のリスクを思えば、長時間のスクリーンタイムだけでも危惧されるのに、バーチャルな世界の危険な出会いまで懸念しなければならない昨今のスクリーンタイム。始めてしまうと、後戻りが難しいだけに、「社会経験」に乏しい子どもたちの「自己判断」「自己責任」に委ねるのは、保護者の「自己判断」「自己責任」を問われます。「プライバシー」に託けて、子どもたちにすべてを丸投げにしては、健康問題だけでは収まらない、スマホ依存症、さらに、ネット犯罪の被害者・加害者になることもないとはいえません。「スクリーンタイム(機能制限)」をどのように活用できるかは、心豊かな子ども時代はもちろん、おそらく、心豊かな人生の羅針盤になり得ると私は考えます。多くの子どもたちがスマホを手にする思春期に、スマホを親子断絶のきっかけにするのではなく、親子のコミュニケーションのきっかけにする。その使い方をお互いに納得できるまで話し合い、こそこそした親子関係に陥らないようなルールやマナーを一緒に作り上げていく。さらに、成長に応じ、それを見直しつつ、自立した大人の自覚と責任を持たせていく。スマホを通じ、そんな「表裏一体の家庭教育」を進めていけるかどうかは、各家庭はもちろん、地域や日本社会の根底を左右していくでしょう。「スマホとスクリーンタイムは使いよう」。私は声高にそういいたい。

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 昨今いわれる「スクリーンタイム(機能制限)」が、子どもたちの現在ばかりか、未来をも大きく変えるだろう切実な問題である一方、スマホもパソコンもなかった私たちの子どもの頃の「スクリーンタイム」はほぼ「テレビとの付き合い方」に尽きました。夕食までは一遊び、または、一習い事(?)をして、夕食後に宿題とテレビを親の顔色をうかがいながら、並行していくのが普通の子どもたちの日常だったと思います。「明日の学校での友だちとの話題の一つ」として、宿題以上(?)に忘れてはならないテレビ番組も少なからずあり、テレビが子どもたちの日常生活に占める割合は決して看過できないものがありました。「テレビっ子」という言葉からは、テレビに振り回される当時の子どもたちに対する親たちの嘆きが聞こえてきそうです。とはいえ、「一家にテレビ一台」の時代でも、「プライベート・テレビ」の時代であっても、現代のスマホのスクリーンタイムほど深刻な問題はなかったでしょう。懐かしいテレビ番組やテレビ習慣などをどこまでも楽しく語れるのは、それが単なる懐古主義にとどまらない、私たち個々の日常生活とともにあり、一つひとつがかけがえのない生活史だったからだと思います。翻って、しばしば何気なく視聴し続けているスマホ上に情報や番組にずっと先々になっても、自ら思い出せる、周囲と楽しく語り合えるものが(どれほど)あるか。湯水のごとく時間を費やした挙げ句、湯水のごとく流れてしまうスマホの使用は一考を要します。スクリーンタイムはそのきっかけですね。