Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

9月10日活動報告

【前回(9月10日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)小枝さん・鷲見さん・徳丸さん・小野

<活動時間>14:00~15:40

<活動形態>Zoomミィーティング

 台風が次々と発生し、残暑厳しい9月ですが、みなさんはお変わりなくご参加いただけた前回CEC。近況報告では、小枝さんから「自宅リノベーション」が、今夏の天候不順で思うように進められなかったお話からスタート。想定外が当然になりつつある近年の「災害シーズン」を前に、「備えあれば、憂いなし」ですが、その「備えの前に憂いあり」の状況から、「地球温暖化」は日常生活の隅々に入り組んでいると実感しました。鷲見さんは「エリザベス女王逝去」の訃報から感じられたことを、ご自身の学生時代の「イギリス留学時のホストファミリー」との思い出から紡ぎ出していただきました。癌で余命宣告を受けられたホストマザーが、残された人生において、国際親善の懸け橋となるべく、留学生を受け入れてみえたことに、そのご家族はもちろん、イギリスという国家を感じられたという話から、その国家の象徴たるエリザべス女王を亡くしたイギリス国民の今の失意を慮ってみえました。女王の死を悼み、国民の総意で執り行われる今月19日の国葬に話題が移ると、日本の安倍元首相の国葬の話題に。市民グループを中心に、「国葬反対」を求める声が急激に広がるばかりか、各種世論調査において、賛否両論というより、反対の声が勢いを得ている今、今月27日国葬実施までの日々を粛々と、とはいかないようです。彼の長期政権下における業績への評価から、「低所得者向け5万円給付」などコロナ禍における物価高政策が風雲急を告げる中にあり、膨大な国費で実施される国葬への風当たりは強まるばかり。加えて、在任中の相次ぐスキャンダルに始まり、非業の死の陰に見え隠れする旧統一教会とのつながりなど、その不明朗な人脈への憤りもここに来て一気に噴出しています。何より、「国葬の基準」があいまいにもかかわらず、「国葬決定」の過程が不明確で、結果的に国民のコンセンサスを置き去りにしたことが、事態を大きく悪化させているようです。私もこれらの考え方にはただただ同意するしかなく、「あえて国葬を」と考える視点を持てません。過日テレビで、ブラジルが生んだ伝説のF1レーサー アイルトン・セナ国葬が紹介されていましたが、ブラジルのテレビ各局で生放送され、彼の故郷サンパウロでは推定300万人の人々が通りを埋め尽くし、彼の死を悼む姿に、国葬の何たるかが一目瞭然に表れていました。前後も考えず述べれば、岸田首相が盟友安部氏の業績をとりわけ評価するのであれば、日本の内閣総理大臣表彰の一つである「国民栄誉賞」を検討してはどうでしょうか。賞の意義や歴代受賞者との兼ね合い等が問題であれば、当時の福田赳夫首相が同賞を創設したように、自身でそれに代わる賞を創設し、国民に説明責任を果たしてはどうかと考えたりもします(国内外に問題山積の昨今、それが不可能なことは百も承知ですが)。国民の根強い支持を背景に執り行われるエリザベス女王国葬ウクライナ情勢とプーチンの遺志により、国葬が見送られたゴルバチョフ氏を思うと、安部氏の国葬には思うことが一向に尽きません。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 9月10日のCECに続き、スティーブのスピーチの最初の話にあるキーワード「点(dots)」は何かをイメージしつつ、個々がイメージする人生の「点」について意見交流。「経験(experiences)」「出来事(events)」「努力(efforts)」に加えて、前回「習慣(habit)」という意見が出て、話し合いはスタート。「習慣は第二の天性(Habit is second nature)」のごとく、習慣が人生を少しずつ、しかし着実に形作っていく過程は、さながら「点(習慣)」が「線(生活)」になり、「面(人生)」になっていく過程をイメージさせると実感しました。さらに、「各自のこれまでの人生で最も大きな『点(習慣)』を一つだけ挙げるとしたら?」の問いに「英語」と即答された鷲見さん。すると、メンバーが次々と「私も英語(かなあ)」と笑顔で同意。後半はその英語を今後「どのような『点(習慣)』にしていきたいか」を話し合いました。CECで今後も英会話に親しむ(?)ことを大前提に、さらに、「ボランティアとして教えてみたい」「認知症予防の一つとして、学びを深めたい」「これまでの人生経験を踏まえ、英語の自己啓発書を通じ、より多くの箴言にふれたい」などの意見が出ました。お互いに「英語は今後も人生の大切なパートナー」と再確認することができ、とても前向きな気持ちになれました。とともに、巷に数ある趣味の中で「英語を選べた」幸運、また、学生時代に多くの教科を学んできた結果、学校を卒業後長い年月を経た現在、「英語を選んだ」不思議さを思わずにおられませんでした。