Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

4月8日活動報告

【前回(4月8日)CEC活動報告】

<参 加 者>3名(男性2名 女性1名)小枝さん・徳丸さん・小野

<活動時間>14:00~15:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 寒暖差により、例年より長い「花見」を楽しめた今春は、「ポスト・コロナ」も本格化して、華やいで気分に浸れた人たちが多かったのではないでしょうか。そんな中、今年度初となるCECも穏やかなスタートを切ることができました。前回「花粉症」で欠席された小枝さんも元気に復帰。近況報告では、「三世代」で出かけてみえた「USJ(UNIVERSAL STUDIOS JAPAN)」がかつての賑わいを取り戻していたことに驚かれていました。たとえば、長蛇の列だった「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」は2時間待ち。他のアトラクションも状況は推して知るべし。退場時にぐったりと疲れてしまったのもうなずけます。苦手なジェット・コースター(roller coaster)まで加わると、その疲労度はいかばかりだったでしょうか。私もかつて「午後出発→道頓堀食い倒れ→一泊→吉本新喜劇海遊館(or USJ)」という「年度末ご苦労さん旅行」に出かけており、大阪は好きな観光地の一つです。3年生担任時は、卒業式後は時間的に少し余裕があるので、学校業界でいう「卒業記念旅行」として、「海外旅行(韓国や香港)」に張り込んだこともありました。1泊2日の旅行後には「最後のご奉公(受験高引率と試験後の敗戦(?)処理)」が控えているので、束の間の休息でしたが、それでも一年間苦労を分かち合ってきた3年生担当職員同士が、お互いの労をねぎらうとともに、教え子たちが無事合格できますようにと、遠い空の下(?)で、最後の願掛けをしたものです。徳丸さんは例年同様、JR岐阜南口ほど近くにある「清水緑地」における花見を心行くまで楽しまれるとともに、今春は「WBC(World Baseball Classic)」における日本チーム、とりわけ、大谷翔平選手の大活躍に手に汗握ってみえたようです。私も徳丸さんと同様、大谷選手の「言行一致」のカリスマ性には言葉がありませんでしたが、メンバーのお二人もまた、彼の現在はもちろん、その生い立ちに少なからず興味をお持ちでした。そのプレーは言うに及ばず、スーパースター揃いの米国チームとの決勝戦直前、チームメートに放った一言は秀逸でした。「憧れるのはやめましょう。憧れてしまったら、超えられないんで。僕らはトップになるために来たので、今日一日だけは、憧れるのをやめて、勝つことだけ考えていきましょう!」。日本チームにとって、一世一代の大一番に臨む際、これに勝る檄はなかったでしょう。それが大谷選手の口から出たことで、チームがその気になり、優勝へ一気に駆け上ったことは想像に難くありません。この一言が出せる大谷選手のバックボーンの一つに、彼が花巻東高野球部監督から教わった「マンダラチャート(目標達成シート)」があります。かつてのスポーツ選手にありがちな「当たって砕けろ」式の根性論とは異なる「思考」をベースにした理知的な取組みがそこにはあり、それが彼の野球の天賦の才を、他に類のない次元へと昇華させました。「鬼に金棒=大谷にマンダラチャート」といったところでしょうか?

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】  

 「春→桜→新たな出会い→期待と不安」という心持ちは、メンバーに共通するところでしたが、どちらかといえば、「期待感(≒positive mindset)」が勝るのが春の典型的なイメージでした。一方、陽気な花見が終わるや、ほどなくして、儚く散っていく桜に映し出されるもののあわれから、春こそ日本を象徴する季節だという意見もありました。そんな春の思い出として、小枝さんは、親子の葛藤を乗り越え、わが子が県下有数の第一志望校を突破した経緯を話されました。その学校はご自身の第一志望校でもあり、親の志望を子が実現する形になったわけですが、受験に向けて、わが子に有形無形のプレッシャーを与えてきたことを振り返ると、「あれでよかったのか?」と思うこともあったとのこと。昨今の「個性尊重」の潮流が、その思いを加速していたようですが、私などは素敵なお話として聞かせていただきました。今どきの親は、聞き分けの悪いわが子にも「本人次第」とばかりに、付かず離れず。問題解決を先送りにする傾向があるのは周知の事実です。物申すよりは、物分かりのよい親を演じ、わが子にぐいぐいねじ込まれる親、何事も「時が来れば…」というスタンスで静観している親も少なくないと聞きます。かつて「友だち親子」なる言葉が一世を風靡しましたが、時代は今、「仮面親子」と言っても過言ではありません。「わが子のために」との一念があれば、親がわが子に物申すことに何の遠慮があるのか。さらに言えば、それこそ親の責務であり、そこで生まれる親子の葛藤を一つ一つ地道に解決していく過程こそが「親子の絆」そのものだと私は思います。春の話は思いがけず、「親子とは何か」へ広がり深まりました。