Chatty English Circle

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8月11日活動報告

【8月11日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>3名(男性2名 女性1名)内田さん・小枝さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 今回は「トピックのみで90分間」の例会に初チャレンジ。3名の参加者ながら、お互いの意見にコメントや質疑応答を重ね、ふだんにも増して充実したチャットを楽しむことができました。「五輪のイメージ」は、小枝さんが複数の視点で示唆に富む話をされました。まずは、新旧の「東京五輪」を比較。各々の時代背景も踏まえつつ、年齢を経て感じられたご自身の五輪への思いの変化を紹介されました。両大会ともに、選手たちの超人的パフォーマンスに目を奪われたものの、2回目の東京大会では、そこに至るまでの彼らの目に見えない努力にも思いを馳せるようになり、そこに自身が見聞されてきた人生経験を重ねてみえました。一方、五輪に人生のすべてを捧げてきた彼らが、その後長く続く人生でどんな歩みをしていくのかにたいへん興味があるとの指摘も。「競技人生」が「人生」にどうつながっていくか、というより、「競技人生」を「人生」にどうつなげていくかこそ、選手の「真価」だとされました。五輪後の自分を進化、深化させてこそ、真価あり。私もまったく同感です。また、年齢を重ねるごとに五輪の明るい面だけではなく、暗い面を感じることが増え、年々盛大に開催される五輪の陰で、紛争や分断、貧困などが広がる世界情勢が見えにくくなるのではまとめられました。内田さんは、五輪開催国が総力を挙げる「開会セレモニー」はもちろん、五輪のたびに、選手たちが生み出す「記録更新」の陰には、着実なテクノロジーの進化があることを指摘。選手たちの日々の鍛錬の賜物である研ぎ澄まされた身体やスキルなどを支える用具などの側面にも注目すべきだとまとめられました。私は、「五輪と商業主義」との親和性を、そのきっかけとなった「ロス五輪(1984)」をもとに話しました。大会当時、大学生だった私は、競技と同じくらい、同五輪の最大スポンサーだったコカコーラの存在感が印象に残っています。大会期間中にテレビで何度も見聞きしたコカコーラのコマーシャル。その影響力は計り知れないと実感しました。その煽りもあってか、同大会の最大のスーパースターだったカールルイスを思い出すと、今もなぜか、コカコーラが思い出されます。また、五輪には「コメンテーター」の存在が欠かせません。ロス五輪では、巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄氏が華々しくデビューを飾り、スタンドから「ヘイ、カール」とカールルイスを呼び、笑顔で振り向かせたシーンが今もまざまざと蘇ってきます。パリ五輪においては、シドニー五輪(2000)女子マラソン金メダリスト高橋尚子氏が、パリ市内のコースを3回試走。自身の五感で、当日の実況のポイントを事前確認したそうですが、コメンテーターとしての「プロ意識」というか、「オリジナリティ」には言葉がありません。金メダル獲得直後に、爽やかな笑顔で「すごく楽しい42キロでした」と言ってのけた彼女の面目躍如といったところでしょうか。イメージを交流するうちに、意見はさらに広がり、内田さんから「2週間という開催期間中に、世界のメジャースポーツとトップ選手が一堂に集結する五輪は『スポーツのデパート』と呼ぶにふさわしい」との意見が。「スポーツの祭典」といえば、「サッカーワールドカップ」がメジャーですが、五輪もそれに匹敵する存在であることに異論の余地はありません。一方で、内田さんが教えてみえるスリランカの学生さんには「自国選手があまり参加していない五輪への興味はそれほどでもない」との声もあるとか。「選抜高校野球」において、個々の出身都道府県や縁のある都道府県のチームを応援すると同様、五輪においても、個々の国の出場選手や出場チームは、その国民の五輪への関心度を大きく左右するでしょう。私たちは「五輪と楽しめる」アドバンテージを享受していますね。私は、五輪から「嵐(storm)」をイメージします。昔から「五輪には魔物が棲む」といわれますが、まさかのアクシデントやハプニングなどにより、「強者必ずしも勝者ならず」というシーンを数多く見聞きした者としては、その目まぐるしい勝敗の行方はまさに「嵐」と呼ぶにふさわしいと思うのです。すべての選手が大なり小なり、個々の嵐に遭遇するかと思いますが、それをどう凌ぐことができるか。心身の総合力が問われるでしょう。「五輪で最も好きな競技」は、「体操(小枝さん)」「野球(内田さん)」「柔道(小野)」。最初の東京五輪における金メダルラッシュ以降、体操に注目されている小枝さん。「日本のお家芸」とされ、「メダル獲得」に最も近い競技の一つとみなされている体操は、パリ五輪では、橋本選手を筆頭に、スター選手を擁して、個人タイトルはもちろん、団体金メダルも獲得。栄えある日本体操界の歴史に新たな1ページを刻みました。常人には及びもつかない超人技に加え、世界的に確固たる地位を築き上げている日本の体操は、日本人が最も注目する競技の一つでしょう。私自身は中学2年時、モントリオール五輪で1学年上のナディア・コマネチ選手(ルーマニア)が、近代五輪史上初となる10点満点を連発し、金メダル3個、銅メダル1個、団体銀メダルを獲得したことが忘れられません。白のレオタードで華麗に舞う彼女は、日本では「白い妖精」と呼ばれ、当時絶大な人気を誇りました。自分たちが「中体連」の結果に“一喜一憂”して一方で、同世代のコマネチは五輪の金メダリスト。彼女の才能には驚嘆するしかありませんが、何ともいえず、割り切れない思いにも駆られました。日本プロスポーツ界に長く君臨してきた野球は、今も競技人口は多く、五輪では毎回開催されていませんが、プロとアマの混成チームに始まり、短期決戦独特のストラテジーに裏打ちされた緊迫感あふれる試合展開が、多くの日本人の心をとらえて離さないでしょう。柔道は日本発祥の競技であり、いやが上にも注目を集めます。勝敗はもちろん、しばしば、勝ち方や負け方まで問われ、選手たちのプレッシャーやストレスも相当なものがあると私は推察します。私自身は、2校目の勤務校以降、退職するまで、ずっと柔道部顧問(学生時代、私が空手道部員だったので、柔道もできるだろう?という理屈で。どちらも、白い道着に、帯を締める競技だから、似たようなものという感じだったようで。ただ、少し考えればわかりますが、柔道の基本は引く、空手道の基本は押す(突く)。ある意味、真逆の競技だと私は思います。余談ながら)だったので、柔道ではしばしば、文字通り「観戦(『観』て畳の上で一緒に『戦』う」する感覚になることがあります。白と青の柔道着採用や度重なるルール改正など、「五輪競技」としての柔道は、年々その様相を変えて、「日本の柔道」ではなく、「世界のJUDO」になったと実感します。五輪で最も印象に残った選手」は「赤松諒一選手(小枝さん)」「特定困難(内田さん)」「浅田真央さん(小野)」。赤松選手はパリ五輪において、走り高跳びで88年ぶりの快挙(5位入賞)と果たした新鋭。岐阜市出身、岐阜大学医学部大学院医学系研修生と、私たち岐阜県人にとっては、一番星そのものです。「地方から」「文武両道」の五輪選手が出たことで、奮起する後進もきっと出てくるでしょう。彼の偉業には心底賛辞を贈りたいです。浅田真央さんは、私にとって、格別の五輪選手でした。卓球の福原愛さんもそうでしたが、私にとって彼女は、選手であり、地元(東海地方 愛知県)のヒロインであり、年齢的には娘のような存在でもありました。幼少時からメディアの寵児だった彼女は、健気な笑顔を惜しみなく、私たちに振りまく一方、一度氷上に立つと、その表情が一変。フィギュアスケートにすべてを捧げた彼女の演技は、国内外で絶賛されていました。当時の女子選手としては、特筆すべき「トリプルアクセル」を武器に、栄光の架け橋を駆け上っていった彼女でしたが、バンクーバー五輪では、同年齢のキム・ヨナ(韓国)に敗れて銀メダル。そのリベンジを期して臨んだソチ五輪では、ショートプログラムでまさかの16位。演技後のインタビューで「何もわからないです」と放心状態で答えていた彼女を見たとき、私は「とにかく、彼女のフリープログラムを見届けよう」を決め、翌日は未明のテレビの前で正座していました。リンクへの通路を歩いてくる彼女の表情を見たとき、私は見たことのない彼女の凛々しい表情に武者震いがしました。静まり返った氷上で、呼吸を整えていた彼女は何を思っていたか。それはその後の“4分間の奇跡”があますところなく、教えてくれた気がします。8つのジャンプを見事にクリアした後、のびのびとステップを踏むたびに、彼女を後押しする会場の鳴りやまない拍手。彼女と会場、画面越しに私たちが一体となった感動の瞬間を共有し、私は言葉がありませんでした。フィニッシュ直後、込み上げるものが押され切れなかった彼女ですが、バンクーバー五輪の表彰台で泣いて終った自分を思い出し、何とか笑顔を作ったそうです。競技者としてだけではなく、一人の人間として、自分を俯瞰して、感情をコントロールする。一つの道を究めた人間はそういうものかもしれません。そんな彼女を見つめる恩師たる佐藤信夫コーチの表情も、共に試練の道を歩んだ人間の何ともいえない深みがありました。真央ちゃんのことだと、とめどなく記してしまいそうなので、最後に一言。私は「真央」に因み、待望の一人娘を「真歩」と名付けたほど、真央ちゃんファンです。現在はアイスショーでご活躍の彼女の「今後の人生に幸多かれ!」と祈念します。「五輪(選手)にかかわる名言」では、小枝さんが「身体のように精神を鍛えなければならない(You have to train your mind like your body.)」と第一声。不測の事態や万一の場合に対応するための精神力の大切さを力説。とりわけ、強靭な回復力(resilience)が栄光を左右するとされました。心身一如(mind-body unity)はいうまでもありませんが、内田さんは、パリ五輪の卓球の試合の手に汗握るデッドヒートで、その目まぐるしい試合展開を制する秘訣として、「技と体を極限まで鍛え上げた世界トップが競い合う舞台では、最後に勝敗を決するのは心(精神)」と痛感されたそうです。。スポーツにおける「心技体」は文字通り、「初めに心(精神)ありき」といえますね。「五輪を漢字で」は「努(小枝さん)」「特定中(内田さん)」「平(小野)」。「努(endeavor)」については、「努力することが才能である(Working hard is one skill or talent to accomplish their goals or dreams)」という箴言もいただき、「努力に勝る天才なし(Slow and steady wins the race)」を再認識しました。「平」については、いつものごとく、4つの二字熟語をもとに紹介させていただきました。まずは「平和(peace)」。別名「平和の祭典」といわれる五輪。武器を通じ、人々が憎み合い、傷つけ合う戦争ではなく、スポーツを通じ、人々が認め合い、高め合う五輪は「平和」の象徴にふさわしいと思います。そのための前提は「平等(equality)」。国や人種、年齢や性別、政治や宗教、障害の有無などにかかわらず、だれにでも門戸が開かれているのが五輪。さらに、参加選手にかかわっては、最も求められることは「平常(normality)」ではないでしょうか。「練習は本番のように」「本番は練習のように」。そんな「平常」をより高いレベルで実現することが、「実力」を出し切る要諦です。その先にこそ、「平常心(calm mind)」も生まれます。そして最後に「平然(stoicism)」。「何事にも動じない心」こそが、鍛え抜かれた技と体を最大限に生かし切り、五輪後に選手たちが人生を切り拓く原動力になっていくと私は思います。