Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

7月26日活動予定

【次回(7月26日)CEC活動予定】

TOPIC:Communication(コミュニケーション)

1. What images come to your mind when you hear the word "communication" ?

2. What do you think is the most important element of good communication ?

3. Can you share an experience when good communication changed a relationship or a situation ?

4. Show us an impressive quote related to communication.

5. If you were to express the meaning of communication in kanji, what would it be?

 前回は、Curiosity(好奇心)について語り合いました。「もっと知りたい」という気持ちは、新しい世界への扉を開くだけでなく、人と人とを近づける大切な力であることを、みなさんのさまざまな経験や考えを通して、改めて感じることができました。しかし、好奇心は心の中にあるだけでは、相手には伝わりません。「知りたい」「話を聞いてみたい」「わかり合いたい」という思いを言葉にし、相手に届けて初めて、対話が始まります。そこで、今回のテーマとして選んだのが、Communicationです。コミュニケーションというと、「話すこと」や「伝えること」を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、本当に大切なのは、一方的に話すことではなく、お互いの思いや考えを受け止め合い、新しい理解を育んでいくことではないでしょうか。質問2では、「よいコミュニケーションに最も大切な要素は何か」を考えます。そして、質問3では、「よいコミュニケーションが人間関係や状況を変えた経験」を紹介し合います。考えを語り、その背景にある体験を共有することで、互いの価値観に触れ、より豊かな対話が生まれることを期待しています。Respect(相手を大切にする)から Curiosity(もっと知ろうとする)へ、そして Communication(対話する)へ。 今回も、みなさん一人ひとりの言葉から、どのような新しい気づきが生まれ、広がる深まっていくか。今からとても楽しみにしています。

7月5日活動予定

【次回(7月5日)CEC活動予定】

TOPIC:Curiosity(好奇心)

1. What images come to your mind when you hear the word ‘curiosity’ ?

2. What kind of curiosity is the most important for living a meaningful life ?

3. How can curiosity help us become better people ?

4. Show us an impressive quote related to curiosity. 

5. If you were to express the meaning of curiosity in kanji, what would it be ?

 前回の「尊重(Respect)」をめぐる意見交流で、本質を見極めようとする姿勢が、自分らしさを育み、自分らしく生きる人ほど、自分だけでなく、他者の存在や価値観も尊重できるようになる。そんな「人がよりよく生きるための一つの道筋」を実感することができました。また、私は、Respectには三つの姿があると考えました。一つは、共通する思いや価値観を大切にする「共感的尊重」。二つ目は、自分とは異なる考え方や価値観から積極的に学ぼうとする「能動的尊重」。そして三つ目は、人だけでなく、社会や自然、文化など、自分を取り巻く世界に広く関心を向ける「積極的尊重」です。その一つひとつが、Respectを支える大切な理念だと思いますが、しかし、理念だけでは人は変わりません。理念は、日々の行動や態度として表れてこそ、本当の意味を持ちます。そこで今後は、Respectを支えるさまざまな行動や心のあり方を、一つずつ取り上げながら考えていきたいと思います。今回のトピックであるCuriosity(好奇心)は、この「積極的尊重」の出発点になります。好奇心とは、単なる知識欲ではありません。「もっと知りたい」「もっと理解したい」「もっと学びたい」という姿勢そのものです。その姿勢は、自分の世界を広げるだけでなく、他者を理解する力を育て、自分自身の成長へとつながっていきます。「好奇心は、私たちをどのようによりよい人へ成長させてくれる」のでしょうか。今回も自由闊達な意見交流を楽しみにしています。

6月21日活動報告

【6月21日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性1名・女性3名)齊藤さん、小枝さん、水沼さん、小野                        <活動時間>10:00~11:30                                            <活動形態>Zoomミーティング

今回の例会は、過日のMeetupでご縁をいただいた水沼さんをお迎えし、4名で開催しました。

まずは一人ずつ自己紹介を行い、それぞれが現在どのように英語を学び、英語と関わっているのかを紹介し合いました。初参加とは思えないほど和やかな雰囲気となり、自然な流れで今回のトピックへ入ることができました。

今回のテーマは、「Respect(尊重)」です。

「尊重」と聞いて最初に思い浮かぶことについて話し合ったところ、齊藤さんは「敬語(honorifics)」を挙げられました。

日本語の敬語には、「長幼の序(respect for seniority)」という日本独特の文化的背景があり、「尊敬する(look up to, esteem)」や「賞賛する(admire)」など、さまざまな意味合いが含まれています。そのため、「Respect」という言葉は、日本人にとって単なる礼儀以上の深い価値観を表すものではないかという意見が出されました。

一方で、近年は「リスペクト」というカタカナ英語が日常的に使われるようになり、本来の「尊敬」や「尊重」が持っていた重みや奥行きが、以前よりも少し軽く受け止められるようになっているのではないかという話題にも発展しました。

そこで、中学校に勤務されている水沼さんに、現在の学校の様子をお尋ねしました。

すると、「最近の子どもたちは、まずフレンドリーな関係からスタートし、学校生活を重ねる中で、お互いへのリスペクトを育みながら、人間関係そのものも深めていくように感じます」と話してくださいました。

そのお話を伺いながら、私は四十年前の自分を思い出しました。

昭和61年春、新任教師として赴任した私は、大学空手道部で培われた典型的なヒエラルキー意識を強く持っていました。そのため、赴任先である恵那の山あいの中学校で出会った、純朴で人懐っこい生徒たちのあまりにもフレンドリーな接し方に、「なれなれしい」「もっとリスペクトが必要ではないか」と少なからず戸惑い、憤りさえ覚えていました。

しかし、今回の対話を通して、尊重の表し方は時代とともに変化していること、そして、形式よりも互いを理解し合う過程の中で育まれるリスペクトもあることを、改めて考えさせられました。

「昭和ははるか遠くなりにけり」。

そんな言葉が自然と胸に浮かび、自分自身の価値観の変化も含め、時代の流れをしみじみと感じました。

続いて、小枝さんは、「理解(recognition)と受容(acceptance)」という二つのキーワードを挙げられました。

尊重とは、「まず相手の人格や価値観、信念を理解しようと努め、それを受け入れる姿勢から始まるものではないかと」いう考えです。そして、自分が尊重できる人とは積極的に交流し、その人から学ぶ姿勢を大切にしたいことはもちろん、自分とは異なる人格や価値観を持つ人に対しても、尊重する気持ちを忘れず、そこから何かを学べる自分でありたいとまとめられました。

一方で、人間関係は理想通りにはいかない現実も率直に語ってくださいました。

所属するサークルの中には、「なかなかリスペクトできない」「どうしてもしっくりこない」と感じる方もいるそうです。その背景には、自信に満ちた話し方が、時として周囲には傲慢に映ってしまうことや、場の空気を十分に汲み取らない言動が積み重なり、少しずつ心理的な距離が生まれてしまったことがあると話されました。

たとえば、例会後に喫茶店でメンバー同士が気軽に雑談を楽しんでいる中、会話の流れを遮って自身の話題へ移ったり、「英語は自分の方が得意だから、みなさんは生徒になったつもりで聞いてください」という趣旨の発言があったりしたことで、本人を否定するつもりはなくても、自然と一定の距離を置くようになったとのことでした。

しかし、その印象が変わる出来事がありました。

サークルでアメリカからのお客様を迎えるパーティーを開いた際、その方が日本の歌を披露したり、篠笛を演奏したりしながら、心を込めて日本文化を紹介し、参加者をもてなそうと努力する姿にふれたそうです。

その真摯な姿勢を目の当たりにして、「この人にも、こんなすばらしい一面があったのだ」と感じるようになり、相手への見方が少しずつ変わっていったことを率直に語ってくださいました。そして、それ以来、その人のよさを意識して見つけようとするようになったそうです。

このお話を伺いながら、私は、人への評価は一つの出来事や第一印象だけで決まるものではなく、新たな一面を知ることで大きく変わることを改めて実感しました。

「Respect」と「Suspect」は、わずか数文字しか違わない単語ですが、人を見る心もまた、ほんの小さなきっかけで大きく変化します。人を尊重することと、人を疑い距離を置くことは、まさに a fine line(紙一重) であり、ときには two sides of the same coin(表裏一体) なのかもしれません。

だからこそ、相手を決めつける前に、その人の新たな一面に目を向けようとする姿勢こそが、真のリスペクトにつながるのではないかと感じた、大変示唆に富む対話となりました。

続いて、水沼さんは、「興味深い(interesting)」という言葉を挙げられました。

ご自身は、日頃から互いを尊重し合える人間関係を何より大切にされており、その中でも特に意識されているのが、「ラベリング(labeling)」をしないことだそうです。ラベリングとは、人や物事に対して、自分の思い込みや先入観によって勝手な評価や枠組みを与えてしまうことです。そのような先入観は、差別や偏見を生み、本来見るべき相手の姿を見失わせてしまいます。

だからこそ、できるだけ真っ新な気持ち(pure heart)で相手と向き合い、その人をありのままに見つめ、理解しようと努めることが、真のリスペクトにつながるのではないかと話してくださいました。

続いて、私は「自分らしさ(Authenticity)」という視点から、このトピックについて考えました。

学生時代、私は体育会系の中でもとりわけ上下関係の厳しいことで知られた空手道部に所属していました。そこには明確なヒエラルキー(hierarchy)が存在し、「リスペクト」といえば、ほぼ例外なく、後輩から先輩へ向けられる一方向の「尊敬」を意味していました。

その価値観をそのまま持ったまま教師になった私は、赴任先で出会った人懐っこい田舎の生徒たちに戸惑いました。あまりにも素直で親しみやすい彼らの姿を見て、「なれなれしい」「リスペクトが足りないのではないか」と感じていたことを、今でも鮮明に覚えています。

しかし、「職業は人をつくる」と言われるように、あるいは「集団は人をつくる」と言った方がよいのかもしれません。

教師として生徒たちと向き合う年月を重ねる中で、一人ひとりが自分らしさを大切にしながら懸命に成長していく姿に数多く出会いました。その姿にふれるたび、私の中のリスペクトは、年齢や立場とは無関係に、「自分らしく生きようと努力する人」すべてに向けられるものへと変わっていきました。

そして、空手道部時代に当たり前だと思っていたヒエラルキー意識は、いつしか少しずつ消えていったのです。そして現在、私が深いリスペクトを寄せている一人が、ピアニストの小雨さんです。

幼少期からの厳しい家庭環境やさまざまな逆境に負けることなく、自らの力で人生を切り拓き、ピアノという表現の世界にすべてを懸けながら歩み続ける姿には、心からリスペクトを抱いています。

また、前回の例会では、「Authenticity(自分らしさ)」についても対話を深めました。

そこで確認できたのは、自分らしさとは、「自分だけが自由に振る舞えること」ではなく、「自分も他者も、それぞれ違っていてよい」と認め合える関係の中で、お互いが安心して自分自身を表現できることだということでした。

さらに、自分らしさを発揮するためには、「自分を信じる力」だけでは十分ではなく、「自分を信じてくれる存在」があることも同じくらい大切であるという気づきも共有しました。

人は、一人だけでは自分を肯定し続けることは容易ではありません。

失敗したとき、思うようにいかないとき、自信を失ったとき、あるいは孤独を感じたとき、「あなたらしくていい」「あなたはそのままでいい」「私はあなたを信じている」と言ってくれる存在は、人生を支える大きな力になります。それは教育現場に限らず、家庭でも、友情でも、職場でも、人が人として生きていくあらゆる場面に共通する普遍的な真理ではないでしょうか。

そして、そのような安心して自分らしく生きられる関係を育む土壌にあるのが「信頼(Trust)」であり、その信頼を支える最も根源的な土台こそ、「尊重(Respect)」なのだと、今回の対話を通して、改めて実感することができました。

ここまでの対話を通して、私の中では一つの流れが明確になりました。

Respect(尊重)があるから、人は安心して話すことができる。安心して話せるから、Trust(信頼)が育まれる。そして、Trustが育つからこそ、人はAuthenticity(自分らしさ)を安心して表現することができる。

私は、この循環こそが、「人が人として成長していくプロセス」そのものではないかと感じています。

とりわけ、教育現場においては、「尊重(Respect)=相手の存在そのものを認めること」が、生徒理解の原点であり、最も大切な姿勢だと思います。

実際、教師生活を振り返ると、生徒たちが「あのとき先生に尊重されたと感じたから、心を開くことができた」と話してくれた場面が数多くありました。その一方で、「尊重されていないと感じたことで、心を閉ざしてしまった」と思われる場面も決して少なくありませんでした。

こうした経験を重ねる中で、私は、「信頼(Trust)」や「尊敬(Esteem)」といった、より高次の人間関係や意識の出発点には、必ず「尊重(Respect)」があるのだと考えるようになりました。

続いて、「心からの尊重を感じさせた言行」というテーマについて意見を交わしました。

齊藤さんは、「より才能のある人(more talented person)」を挙げられました。

現在応援されているポップシンガーへの「推し活」を紹介される一方で、ご家族や友人との温かな関係にもふれられ、日々の誠実な関わりや相互信頼の中にこそ、本当の意味での「尊重」が息づいているのではないかと話されました。

この「推し活」の話題では、参加者それぞれの経験も紹介し合いました。

仕事と子育てで多忙な毎日を送られている水沼さんは、「今はなかなか時間が取れませんが、学生時代には大好きなバンドのコンサートによく足を運んでいました」と懐かしそうに話してくださいました。

また、小枝さんは、娘さんがときおり、推しのコンサートへ出かけ、その間、ご自身がお孫さんのお世話をされていることを紹介。そして、義母との同居生活で、自分には「推し活」を楽しむ余裕などなかった若い頃を振り返りながら、仕事も子育てもプライベートも充実させている娘さんを、どこか羨ましく見つめておられる様子が印象的でした。

私自身は、前述のとおり、現在はピアニスト・小雨さんに夢中です(I'm head over heels in love with Kosame.)YouTubeのおかげで、その演奏や表現に日々ふれられることのありがたさを、これほど実感したことはありません。

もともとは、洋画鑑賞を楽しむために還暦祝い(Happy 60th Birthday)として購入した75インチテレビで小雨さんの演奏を堪能していましたが、最近では、「もっと臨場感を味わうなら85インチがいいのではないか」と本気で考えるようになり、家族から「さすがに、それは…」と、やんわり制止されているところです。

このような和やかな話題で会場が大いに盛り上がった後、小枝さんは、「謙遜(modesty / humility)」についてお話してくださいました。

優れた能力や豊かな知識を持つ人を自然に尊重できることはもちろん大切ですが、その人自身が、それを決して鼻にかける(boast)ことなく、常に周囲への謙虚さを忘れない姿にふれたとき、初めて心から尊敬の念を抱くことができるのではないかと語られました。

そして、ご自身も日頃から、周囲の人が少しでも心豊かになれるような言葉や行動を心がけ、それを穏やかな気持ちで振り返りながら、ささやかな満足感(small sense of satisfaction)を味わう一方で、決して驕ることなく、常に謙虚な姿勢を忘れないよう努めておられるそうです。

最後に、その生き方を象徴する言葉として、「実るほど首を垂れる稲穂かな(The boughs that bear most hang lowest. / The more noble, the more humble.)」ということわざを紹介してくださいました。この一言には、今回のトピックである「Respect」の本質が凝縮されているように感じられ、大変印象深い締めくくりとなりました。

続いて、水沼さんは、「傾聴(active listening)」という言葉を挙げられました。

相手が誰であっても、広く開かれた心で、その人の言葉に公平に耳を傾け、その思いや意図を受け止めながら尊重していくことが何よりも大切ではないか、と話してくださいました。

仕事や家庭など、公私ともに忙しい毎日を送る中でも、その忙しさを理由にせず、相手の話に丁寧に耳を傾ける姿勢を大切にされているそうです。

その一方で、相手の話を十分に聴こうとせず、自らの立場やルールを盾にして相手を従わせたり、叱責することをためらわなかったりするような人に対しては、尊重の気持ちを抱くことは難しいとも率直に語られました。そして、その点については、小枝さんが先ほど話された内容にも深く共感すると述べられました。

私自身も、「傾聴(active listening)」は、教師人生の原点とも言える大切な言葉です。

新任教師として赴任したのは、恵那郡山岡町でした。山あいの穏やかな自然に囲まれた地域には、田舎ならではの温かさがある一方で、どこか閉鎖的とも感じられる空気もありました。

当時、その地域の多くの先生方は日教組の活動を通して強い結び付きを築いておられました。そんな中、私は岐阜市から「遠計配(遠距離計画配置)」で赴任してきたばかりの新任教師でした。土地勘もなく、経験も乏しく、授業も学級経営も未熟でした。今振り返れば、「一人前の教師」として見てもらうには、まだまだ力不足だったと思います。

そのような私を、温かく支えてくださったのが、教務主任のI先生でした。

I先生は、公私にわたって本当に親身に接してくださいましたが、中でも今も忘れられないのが、その「傾聴(active listening)」の姿勢です。私の拙い話を決して途中で遮ることなく、時間をかけて最後まで耳を傾けてくださる。そして、話がまとまらないときには、

「つまり、こういうことかな」                                                「先生は、こんなふうに感じているのかな」

など、私の思いを一つひとつ丁寧に整理しながら、言葉にならない気持ちまで引き出してくださいました。

そのような対話を重ねるうちに、私は少しずつ、自分が「何をすべきか」「どんな教師になりたいのか」を、自分自身の言葉で語れるようになっていきました。

「こうしてみます」                                                     「今度は、こんなことにも挑戦してみたいです」

そんな前向きな言葉が自然と口をついて出るようになったのです。そして、話が終わるたびに、I先生はいつも穏やかな笑顔で、こう声をかけてくださいました。

「あんじゃないて(大丈夫)」

その何気ない一言には、不思議な力がありました。

私は、その言葉を聞くたびに、「まだ半人前の教師」である自分を、I先生が一人の教師として認め、尊重し、信じてくださっていることを実感していました。その思いは、私の結婚式でも変わることはありませんでした。祝辞をお願いしたI先生は、最後にいつもの笑顔で、こう結んでくださいました。

「先生、これからいろんなことがあるよ。でも、あんじゃないて。先生だから」

その瞬間、私は一気に新任時代へと引き戻されました。

年月が流れても変わることのないI先生の温かなまなざしと、私への深い尊重が胸いっぱいに込み上げ、思わず熱いものがこみ上げてきました。

「あんじゃないて」

この言葉には、単なる「大丈夫」という励ましだけではありません。

「私はあなたを信じています」

そんな無言のメッセージが込められていたのだと思います。

だからこそ、私は今もなお、駆け出しの教師だった私を支えてくださったI先生の「あんじゃないて」の精神を、自分自身の教師人生の原点として、何よりも大切にし続けています。

ここまでの対話を通して、改めて実感したことがあります。

相手の話に真摯に耳を傾けることは、単に「聴く技術」ではありません。

それは、「あなたという存在を大切に思っています」という、最も深い形の Respect(尊重) の表現であり、その積み重ねが Trust(信頼) を育み、人が安心して Authenticity(自分らしさ) を発揮できる土壌を築いていくのだということを、改めて確かめ合うことのできた、心温まる対話となりました。

次は、「ありのままの自分になるために、尊重にはどのような意味があるのか」でした。

まず、齊藤さんは、「自尊心(self-esteem)」というキーワードを挙げられました。

文化(culture)や慣習(custom)、さらには国家間に存在するさまざまな違いを互いに尊重し、攻撃的な言動を慎む(refrain from aggressive behavior)ことによって、一人ひとりの中に健全な自尊心が育まれていく。そして、自分の自尊心を大切にできる人は、自然と相手の自尊心も尊重できるようになるのではないか、と話されました。

また、「職業差別(discrimination of occupations)」のような偏見や先入観は、日々誠実に仕事へ向き合っている人々の自尊心を深く傷つけてしまうことにもふれられ、互いの立場や役割を尊重することの大切さを改めて考えさせられました。

続いて、小枝さんは、以前紹介してくださった「JAL、サブチャンネルを始めました。」の投稿を再び取り上げられました。

その中の一つの内容をもとに、「何事においても、客観的に分析し、評価する(analyze and evaluate objectively)」ことの重要性について話してくださいました。

感情や周囲の情報に流されて判断するのではなく、できる限り客観性を保ちながら、自分自身の強みや弱みも冷静に見つめることができてこそ、自分も他者も公平に尊重できるようになるのではないか、とまとめられました。

この考えに対し、水沼さんも深く共感されました。

その上で、相互尊重を育むためには、                                               ① まず、自分の考えを率直に表明すること。                                          ② 次に、相手や周囲の意見にしっかり耳を傾けること。                                    ③ そして、考えるべき課題や論点を整理・焦点化すること。

という三つの段階を大切にしていると紹介してくださいました。

さらに、「客観性」という視点から見ると、昨今ではChatGPTをはじめとするAIとの向き合い方についても考えざるを得ず、とりわけ教育現場におけるAIの活用には慎重な検討が必要ではないかという問題提起もされました。

便利さは私たちに多くの恩恵をもたらします。しかし、その一方で失われるものはないのか――。AIに限らず、「便利さの功罪(The Pros and Cons of Convenience)」について、改めて考えさせられる対話となりました。

また、学級経営における相互尊重についても話題が広がりました。

水沼さんは、「信頼に基づく関係性」を土台としながら、休み時間には誰もが安心して、のびのびと過ごせる学級づくりを目指していることを話してくださいました。

そのためには、教師自身が一人ひとりの生徒を尊重し、自らの姿勢と言葉を通して、「尊重とは何か」「なぜ大切なのか」を日々発信し続ける存在であることが大切だと語られました。

私は、このお考えに全面的に共感しました。

教育の世界には、「子を見れば親がわかる」という言葉があります。それになぞらえれば、「生徒を見れば担任教師がわかる」とも言えるでしょう。さらに、「知らぬは親(担任教師)なり」という言葉にも通じるように、子どもの姿は、教師自身のあり方を映し出す鏡でもあります。

だからこそ、教師がどのような姿勢で子どもたちと向き合うかは、学級全体の空気や文化を大きく左右するのだと、改めて実感しました。

私自身、「尊重(Respect)」とは、「その人の中にある、まだ形になっていない可能性を信じること」だと考えています。

新任教師だった頃の私は、経験も浅く、自分の授業や学級経営にも確信を持てませんでした。周囲には経験豊かな先生方が多く、自分だけが取り残されているような不安を抱えることも少なくありませんでした。

しかし、教務主任だったI先生は、一度たりとも私を「未熟な新人教師」として扱われませんでした。むしろ、「この人には、これから大きく伸びていく力がある」という前提で、いつも接してくださっていたように思います。

とりわけ印象に残っているのは、I先生が決してすぐに答えを与えなかったことです。私が相談をすると、「こうしなさい」と結論を示すのではなく、まず私自身にじっくりと話をさせてくださいました。

そして、

「先生は、本当はどうしたいの?」                                           「何を一番大切にしたいと思っているの?」

そう問いかけながら、私の内側にある思いや願いを、時間をかけて丁寧に引き出してくださいました。

今振り返れば、それは単なる指導ではありませんでした。

「あなた自身の考えを大切にしてよい」

そんな無言のメッセージに満ちた、「尊重」の実践だったのだと思います。

人は、否定されたり、答えだけを押し付けられたりすると、自ら考えることをやめてしまいます。しかし、自分の思いや考えを丁寧に受け止めてもらえると、「自分の感じ方や考え方にも価値がある」と信じられるようになります。

私は、I先生との対話を重ねる中で、「教師とはこうあるべきだ」という他者の価値観を追い求めるのではなく、「自分はどんな教師になりたいのか」を問い続けられるようになりました。つまり、「尊重」されたからこそ、私は「他人の期待に応える教師」ではなく、「自分自身の教育観を育みながら歩む教師」へと成長することができたのだと思います。

だからこそ、私は今も、「尊重」とは、人が本来の自分へと成長していくための最初の道しるべであり、「完成した人」を認めることではなく、「まだ揺れ動いている人」の可能性を信じ続けることなのだと考えています。

ここでは、「Respect」という一つの言葉を通して、教育、人間関係、そして自分らしく生きることの本質について、多面的に語り合うことができました。

互いを尊重することから信頼が生まれ、信頼が安心感を育み、その安心感が、一人ひとりの「ありのままの自分」を支えていく――。そんな「Respect」の奥深さを、参加者全員で改めて確かめ合うことができました。

さらに、「尊重につながる名言」を紹介し合いながら、トピックを深めていきました。

まず、齊藤さんが紹介されたのは、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein) の言葉です。

“I respect everyone. It doesn’t matter whether they are a garbage collector or a university president.”(私はすべての人を尊重する。相手がゴミ収集員であろうと、大学の学長であろうと関係ない。)

さらにアインシュタインは、

“Everyone should be respected as an individual, but no one should be idolized.”(すべての人は一人の人間として尊重されるべきだが、誰も崇拝されるべきではない。)という言葉も残しています。

肩書や立場ではなく、一人の人間として相手を見る姿勢。その人間観そのものが、多くの人々から尊敬を集め続けている理由なのだと、改めて感じました。

また、私は、日本にもこれと通じる名言があることを紹介しました。

「吾以外皆我師(We can learn everything from others.)」

作家・吉川英治が『宮本武蔵』の中で主人公に語らせたこの言葉も、「誰からも学ぶ」という謙虚な姿勢を表しており、「Respect」や「Active Listening(傾聴)」の本質を示す言葉の一つではないかと思います。

続いて、小枝さんは、ブライアント・H・マクギル(Bryant H. McGill) の言葉を紹介してくださいました。

”One of the most sincere forms of respect is actually listening to what another has to say.”(相手に尊重を示す最も誠実な方法の一つは、その人の話に心から耳を傾けることである。)」

今回の例会でくり返し話題となった「傾聴(Active Listening)」の大切さを、まさに象徴する言葉でした。

相手の話を最後まで丁寧に聴くこと。

それは、年齢や国籍、文化や価値観の違いを超えて、相互理解と相互尊重への第一歩となる、普遍的な真理なのだと改めて感じました。

続いて、水沼さんは、孔子(Confucius) の言葉を紹介されました。

“Respect yourself, and then others will respect you.”(自分自身を尊重すれば、他人もあなたを尊重してくれる。)

忙しい毎日に追われていると、自分が本当に考えていることや、心から望んでいることを見失い、周囲の意見や流れに合わせることばかりを優先してしまうことがあります。

しかし、そのように自分自身を尊重することを忘れてしまったままで、本当の意味で他者を尊重することができるのだろうか――。

水沼さんは、その問いを折に触れて自らに投げかけながら、自分自身を深く見つめ直し(dig into herself deeply)、内なる声に耳を傾けることを大切にされているそうです。

そして、その学びを、Toastmasters でのスピーチや、早朝の自主的な英語学習へとつなげながら、「自分を尊重するとはどういうことか」を探究し続けておられるとのことでした。

現在は幼いお子さんの子育てにも全力で取り組まれている中、そのエネルギーと向上心には、ただただ頭が下がる思いでした。

最後に、私は、ブルース・リー(Bruce Lee) の言葉を紹介しました。

“Knowledge will give you power, but character earns respect.”(知識は力を与える。しかし、人柄は尊敬をもたらす。)

この言葉を聞くたび、私の脳裏には、真っ先に教務主任だったI先生の姿が浮かびます。

新任教師だった私は、知識も経験も十分ではなく、「早く一人前にならなければ」という焦りばかりを抱えていました。

教師には、確かに知識や技術が必要です。

授業力、生徒指導力、教材研究――それらは教師としての「力(Power)」になるでしょう。しかし、I先生が私に与えてくださったものは、それ以上に大きなものでした。

先生は、未熟な私の話を決して否定せず、急かすこともなく、最後まで丁寧に耳を傾けてくださいました。そして、いつも穏やかな笑顔で、「あんじゃないて(大丈夫)」と声をかけ続けてくださいました。

今振り返ると、私はI先生のKnowledge(知識)に支えられた以上に、そのCharacter(人柄)に救われていたのだと思います。先生は、当時の私を「まだ未熟な教師」としてではなく、「これから成長していく教師」として見守ってくださいました。つまり、私の「現在」だけではなく、「可能性」、そして「未来」を尊重してくださっていたのです。

だからこそ、私は安心して自分の思いを語り、失敗を重ねながらも、自分らしい教師像を探し続けることができました。

知識や能力は、人を動かす力になります。

しかし、本当に人の心を開き、「この人のようになりたい」と思わせるのは、その人のあり方なのではないでしょうか。

そして、そのあり方の根底にあるものこそ、一人の人間として相手を認め、信じ、その可能性を見つめ続ける「Respect(尊重)」なのだと、今回の例会を通して改めて実感しました。

ここまで対話では、一つのトピックから実に多くの学びが生まれました。参加者一人ひとりの経験や価値観に耳を傾ける中で、私自身も「尊重」とは何かを改めて問い直すことができました。

RespectからTrustへ。TrustからAuthenticityへ。

この温かな循環を大切にしながら、これからもCECが、互いの可能性を認め合い、安心して語り合える学びの場であり続けることを願っています。

最後に、「尊重を漢字一文字で表すとしたら何か」について意見を交わしました。

まず、齊藤さんは「認(recognition)」という一文字を選ばれました。

表面的なやり取りだけでは、本当の意味で相手を「認める」ことはできず、ましてや「尊重」することはできません。だからこそ、相手を知ろうとする姿勢を持ち、自ら心を開いて相手を受け入れていくことが大切であると話されました。

続いて、小枝さんは、「共鳴(resonance)」という言葉を挙げられました。

相互尊重の土台には、互いを理解し合い、共通の認識や行動を積み重ねていく過程があります。そして、その積み重ねの先にこそ、本当の意味での「共鳴」が生まれるのではないかという考えです。

また、共鳴できる関係を築くためには、まず相手との違いに気づき、その違いを理解し、受け入れることが欠かせないとも話されました。

水沼さんは、「白(white)」という漢字を選ばれました。

新しい出会いでは、決して色眼鏡で相手を見ることなく(look at someone without colored lenses)、真っ白な心で相手と向き合うことを大切にしているそうです。

さらに、日頃から周囲の人々の言葉や行動を注意深く見つめ、その背景にある思いや価値観まで読み取ろうとする深い洞察力(exercise deep insight)を意識していることも紹介してくださいました。

この考えを受け、齊藤さんからは、「今の時代は、身近な人の意見だけでなく、SNSやメディアから流れてくる玉石混交(the good and the bad)の情報にも、私たちは知らず知らずのうちに影響を受けています。だからこそ、自分自身の考えや価値観を持ち、より客観的で公平な視点から人や物事を見ることが大切だと思います」という意見が出されました。

また、小枝さんからは、「真っ白な気持ちで相手と向き合うという考えには全面的に共感します。相手との違いがあっても、その違いをゆったりと受け止め、耳を傾け(have room in our mind)、やがて共鳴できるような関係を築いていきたいです」という温かな思いが語られました。

私は、「聴(listening)」という漢字を選びました。

「聴」という字には、「耳」「目」「心」、そして「十(十分に)」という四つの要素が含まれています。私は、この漢字の成り立ちそのものに、「Respect(尊重)」の本質が表れているように感じています。

本当に「聴く」とは、単に耳で言葉を聞くことではありません。

耳で声を受け止め、目で相手の表情を見つめ、心でその奥にある思いを感じ取りながら、十分に相手と向き合うこと。それこそが、「傾聴(Active Listening)」であり、教育はもちろん、あらゆる人間関係の礎になる姿勢ではないでしょうか。

一方で、私たちは日々の生活の中で、意外なほど「自分自身の心の声」を聴けなくなっているようにも感じます。

周囲から寄せられる期待。                                                     「こうあるべき」という社会の空気。                                                  メディアやSNSから流れ込む膨大な情報。

そうした外側の声に囲まれているうちに、本来の自分の思いや願いが、少しずつ見えなくなってしまうことがあります。

だからこそ、自分でも気づかなくなっていた「本当の声」に静かに耳を傾けてくれる存在は、人生において何よりも貴重なのだと思います。そのような人がいてくれるからこそ、人は立ち止まり、自分自身を見つめ直し、「自分は本当はどのように生きたいのか」を改めて問い直すことができます。

そして、そのように耳を傾けてくれる人こそ、私たちを深く尊重し、寄り添い、ともに歩もうとしてくれる存在なのではないでしょうか。私にとって、そのような存在が教務主任だったI先生でした。

I先生は、まだ未熟だった私の、言葉にならない思いを決して急かすことなく、否定することもなく、時間をかけて丁寧に聴き取ってくださいました。その対話を積み重ねる中で、私は少しずつ自分自身の考えや願いを見つけ、「自分らしい教師」として歩み始めることができたのだと思います。

定年退職を翌春に控えたI先生と、教師人生をスタートしたばかりの私。

その一年間は、「教師と教師」という枠だけでは語り尽くせない、むしろ「教師と生徒」を超えるような深い師弟関係だったように思います。

大学空手道部で培われた固定観念に縛られていた当時の私は、I先生にとって、どのような存在だったのでしょうか。また、もし自分がI先生の立場だったなら、あの頃の自分のような若い教師に対して、同じように関わることができただろうか――。

そう考えるたび、どこまでも私を信じ、尊重し続けてくださったI先生への感謝の思いは、今も言葉では言い表せません。

だからこそ、私にとって「尊重」を表す漢字は、そして「尊重」を育む土台となる漢字は、「聴」以外には考えられないのです。

この話を受け、小枝さんからは、

「YouTubeで時々、漢字を特集した番組を見ますが、日本の漢字の奥深さを改めて感じました。今回、『聴』という漢字の意味を知ることができ、とても勉強になりました」という感想をいただきました。

また、水沼さんからも、

「『聴』という漢字が四つの要素から成り立ち、それぞれに意味が込められていることは初めて知りました。漢字の成り立ちと『傾聴』との関係に、とても驚きました」という感想をいただきました。

最後に、例会全体についてフィードバックを行いました。

齊藤さんからは、「今回も楽しく参加できました。初参加の水沼さんにも加わっていただき、大変刺激になりました」という感想をいただきました。

小枝さんからは、「今回も本当に楽しかったです。水沼さんの英語学習の歩みや現在の学習方法についてもっと伺いたいです。海外留学の経験などもあるのでしょうか」という質問が寄せられました。

これに対し、水沼さんは、

「早朝の英語学習は、Toastmastersのスピーチ準備に充てることもあります。海外留学については、『いつか行きたい』と思いながら、今日まで来てしまいました。今回初めて参加して、皆さんが自然に英単語を口にされる様子に、とても刺激を受けました」と話してくださいました。

最後に私から、CECの運営について紹介しました。

CECでは、毎回の例会のおよそ一週間から五日前に、公式ブログ『Chatty English Circle』とメンバー用グループLINEでトピックを発表しています。

前回の対話を踏まえながら、今回へ、そして次回へと学びがつながっていくよう、一つひとつのテーマを選定しています。例会を「点」で終わらせるのではなく、「線」として結び、その線を対話によってさらに太く、豊かなものへ育てていくこと。それが、私たちCECの目ざす学びの形です。

次回以降は、新しいメンバーの参加も予定されています。

新たな出会いが、新たな学びを生み、さらに豊かな対話へとつながっていくことを、今から大変楽しみにしています。

6月21日活動予定

【次回(6月21日)CEC活動予定】

TOPIC:Respect(尊重)

1. What images come to your mind when you hear the word ‘respect’ ?

2. What words or actions make you personally feel genuine respect ?

3. How does respect help people become their true selves ?

4. Show us an impressive quote related to respect. 

5. If you were to express the meaning of respect in kanji, what would it be ?

 前回の「自分らしさ(Authenticity)」をめぐる意見交流では、メンバー間に、とても大切な共通認識が生まれました。それは、“authenticity”とは、単に「自分だけを大切にすること」だけではなく、「他者のauthenticityも尊重できること」を含んでいる、という視点です。話し合いを通して、私たちは次のような共通認識を持つこともできました。①「自分らしさ」は、“個”だけで完結するものではなく、「他者との関係性」の中で育っていく ②「自分らしさ」は、自分だけに存在する特別なものではなく、他者にも同じように存在している ➂現代社会では、「自由」と「責任」が切り離され、「自分勝手」があふれやすくなっているからこそ、真の意味での「自分らしさ」は、むしろ育ちにくくなっているのではないか。さらに、こうした視点をもとに対話を深めていく中で、もう一つの大切な気づきも共有することができました。それは、人が安心して「自分らしさ」を育てていくためには、「自分を信じる力」だけでなく、「自分を信じてくれる存在」が必要だということです。だからこそ、「自分らしさ」が育つ土壌には、「信頼(Trust)」が欠かせません。そして、その信頼の土台となるのが、お互いの言葉や行動、存在そのものを大切にできる「尊重(Respect)」の関係性なのだと思います。次回は、「尊重(Respect)」をテーマに据えながら、それがどのように「信頼(Trust)」や「自分らしさ(Authenticity)」へとつながっていくのかを、具体的なエピソードも交えながら、自由闊達に語り合いましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 7月5日(日)

5月24日活動報告

【5月24日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>3名(男性2名 女性1名)内田さん・齊藤さん・小野                         <活動時間>10:00~11:30                                             <活動形態>Zoomミーティング

前日の「岐阜英語会」では、「建前と本音」をテーマに話し合いました。その際、インドネシア出身のメンバーが、「最近は、建前と本音を見分けることに少しずつ慣れてきた」と語る一方で、「日本人っぽくなっている自分を感じるとともに、“authenticity(自分らしさ)”も変わってきたような気がする」と発言され、とても考えさせられました。

そこで今回のCECでは、改めて「自分らしさ(authenticity)」をテーマに話し合いました。すると、メンバーそれぞれの解釈に基づいた、実にユニークな意見が次々と出されました。

まず、「自分らしさ」のイメージについて、齊藤さんは「自己表現(self expression)」と表現されました。前回、「本質(essence)」をテーマに話し合った際、「本物(であること)」について、“being real” と “being authentic” という二つの英訳が挙がりました。その際に感じた subtle differences(微妙な違い)を踏まえると、「自分らしさ」とは、「自己表現」を重ねながら、「真の自分になる(being our true self)」ことではないか、とまとめられました。

一方、内田さんは、「自分らしさ」を「一種の基準(a kind of standard)」と表現されました。確かに、「自分らしさ」には subjective(主観的)な面があります。しかし、それを「自分らしさ」という言葉でとらえた瞬間、objective(客観的)な側面も強まり、「性格(personality)」や「強味(strength)」との違いが非常に難しくなる、と話されました。

さらに、辞書には「本物であること」という意味を中心に、そこから派生したいくつもの意味が掲載されていますが、その一つひとつに深い意味があるとも語られました。そして総じて、“authenticity” は非常にとらえどころのない難語であり、今なおイメージを把握しにくい言葉である、とまとめられました。

私は、「本物であること」という意味をもとに、「自分が、自分にとって、本物であること」、すなわち「自分らしさ」と意訳しました。それは、他者を真似たり、世間体(public image)やSNSをはじめとするメディアに左右されたり、親や教師、友人など、周囲の人々の期待(expectation)に追従したりするのではなく、自分という「個」を持ち、「自身の思いや考えを大切にする自分」であることを意味しています。

もちろん、尊敬する人や目標とする人たちを「手本」にすること自体は、決して悪いことではありません。しかし、「自分らしさ」を置き去りにしたまま、それらに固執してしまえば、どこかで無理や歪みが生じるのもまた、人間なのだと思います。

その意味で、「自分らしさ」とは、「自分が自分であること」と言い換えられるのかもしれません。そう考えると、“authenticity” という言葉からは、やはり「自分らしくあること」というイメージが自然に浮かんできます。

もちろん、辞書的には「真正性」や「真実性」といった意味があります。しかし私は、この言葉にはもっと温かく、人間的な意味合いが含まれているように感じています。

“authentic” という言葉は、もともと「本物の」「偽物ではない」という意味を持っています。ですから、人に対して使う場合、それは「誰かを演じることなく、本当の自分を生きること」だと、私は考えています。現代では、多くの人が、成績、お金、SNS、他人の期待など、「外側の基準」に少なからず影響を受けています。その中で、私たちは知らないうちに、本来の自然な生き方を見失いがちです。だからこそ私は、“authenticity” を、「内側の基準」を尊重した「自分らしさ」と結びつけています。

もちろん、それは「好き勝手に生きる」という意味ではありません。自分自身の価値観や考え、感情に素直に耳を傾け、それに忠実に生きることです。つまり、authenticity とは、「特別な人になること(to be special)」ではなく、「本来の自分に戻ること(return to be a real self)」なのだと思います。だから私は、“authenticity” を、「本来の自分に忠実であること」、つまり「自分らしさ」と意訳し、「自分らしさ」を象徴する単語の一つというイメージを持っています。

続いて、「自分らしさの意味を理解する上で、あなたの力になってくれた人」というテーマについても話し合いました。

齊藤さんは、「チャッピー(Chat GPT)」と答えられました。もともとあまりなじみのなかった単語(an unfamiliar word)だった “authenticity” を深掘りする際、チャッピーは多角的な視点を提示してくれたそうです。

とりわけ、ネイティブと日本人とでは、「自分らしさ」という言葉から受ける印象や意味合いに subtle differences(微妙な違い)があり、それが双方の日常的・文化的背景に由来していることがわかったことで、「言葉と文化の相関関係」を改めて実感されたとのことでした。

そんな中、とくに印象に残った定義として、「自分らしさとは、他人が期待するイメージを見せることではなく、自分の内なる価値観や感情に基づいて行動すること(being around with our inner values and feelings, not just showing an image others expect.)」という言葉を紹介してくださいました。

私もまた、この定義を非常に興味深く拝聴しました。同時に、学校現場において、多くのALTが、私とのやりとりの中で、ときおり “authenticity” という言葉を口にしていたことを思い出しました。

当時の私にとって、この単語は、イメージはあるものの、ニュアンスが非常につかみにくい言葉でした。そのため、ALTがこの言葉を使った際には、その意味だけでなく、意図そのものを測りかねることも多く、私は意識的に avoid(避ける)していました。具体的には、さらりと受け流したり、話題を転換したりすることがほとんどでした。

今思えば、彼らは授業や日常活動の中で、「自分らしさ」を大切にし、それを自然に表現していたのかもしれません。しかし、その話題を深掘りしすぎると、会話が途切れたり、煮詰まったりする可能性も十分に考えられました。

そう考えると、当時の私がとっていた「スルー戦法(the strategy of ignoring it)」も、ある意味では正解だったのかもしれません(もちろん、それにがっかりしたALTもいたかもしれませんが)。

一方、内田さんは、「チャッピー」に加えて、「ジェミニ(Gemini)」でも「自分らしさ」の定義を確認されたそうです。そして、日本語であっても、それぞれが少なからず異なる定義を提示したことに触れ、「自分らしさ」の受け止め方は、まさに千差万別(a wide variety)、十人十色(So many men, so many minds.)であることを痛感されたとのことでした。

その上で、自身の性格や強味を理解し、それを引き出し、「自分らしさ」を育ててくれた存在として、「両親と上司」を挙げられました。とりわけ職場においては、上司が「自分らしさ」を認め、それを後押ししてくれることが、仕事を進める上で大きな追い風になる、とまとめられました。

私は、内田さんと同じく、「両親」の存在を挙げました。

思い返してみると、私が「自分らしさ」というものを強く意識するようになったのは、かなり幼い頃からだったように思います。たとえば、幼少期から小学生時代にかけて、友だちの家へ遊びに行った際、そこで自分の興味を強く引く本や漫画を見つけると、私は友だちそっちのけで、それらを夢中になって読み始めることがよくありました。そして結局、友だちとほとんど遊ばないまま、「読むものだけ読んで帰る」ということも、決して珍しくありませんでした。

本来であれば、「みんなで遊ぶため」に集まっていたはずです。しかし、そこに自分の関心を強く引くものが現れると、私は自然と、「みんなのため」から「自分のため」へと意識を切り替えていたのだと思います。今振り返ると、かなりマイペースな子どもだったように感じます。

中学校に入ってからも、その傾向はあまり変わりませんでした。学校の部活動には一応所属していましたが、実際には繁華街にある空手道場へ通っていました。そこには、「学校の部活動は少しかったるい」「空手道場へ行けば、その後に街で自由に過ごせる」といった、自分なりの感覚や欲求を優先していた部分があったのだと思います。

さらに、中学三年生になり、周囲が受験一色になっていた頃も、そうした「自分らしさ」はほとんど変わりませんでした。今、「もし自分が親の立場だったら」と考えると、決して安心できるタイプの子どもではなかっただろうと思います。

ところが大学に入ると、一転して、周囲が自由なキャンパスライフを楽しむ中、私は思いがけないきっかけで入部した空手道部で、非常にストイックな四年間を過ごすことになりました。そして、その姿は、多くの友人たちから見ても、「かなり独特な自分らしさ」と映っていたようです。そんな筋金入りともいえる「自分らしさ」を、結果として支えてくれていたのが、私の両親でした。

両親が私に繰り返し伝えていたのは、「人に迷惑をかけるな」ということだけでした。それ以外について、二人が私の生き方に細かく口を出すことは、ほとんどありませんでした。成績について小言を言われた記憶もありませんし、学校でかなり大目玉を食うようなことをしたときでさえ、「人に迷惑をかけていないのなら、わかった。もうするな」で終わることもありました。

そうした家庭環境の中で、私は幼い頃から、「自分で考え、自分で決め、その結果がうまくいっても失敗しても、最終的には自分に返ってくる」という感覚を、自然に身につけていったのだと思います。もちろん、それは時に、身勝手さと紙一重だったかもしれません。

しかし今振り返ると、自分の人生を自分で引き受けるという姿勢の土台には、両親の静かな信頼があったように感じます。だからこそ私は、そんな両親に対して、感謝の気持ちしかありません。

齊藤さんは、私の意見に関連して、「自分らしさの基盤(foundation)づくり」の大切さについて言及されました。

ご自身の幼少期を振り返ってみても、「両親に信頼されている」という実感を持ちながら成長できる家庭で育った子どもは、健全な「自分らしさ」もまた育ちやすく、学校や社会に出た後も、その土台をもとに、周囲と折り合いをつけながら、さらに健全な「自分らしさ」を育んでいけるのではないか、とまとめられました。

一方、内田さんは、「自分らしさを生み出す要因」について、いくつかの「出現割合(appearance rate)」を紹介されました。

「知能指数(Intelligence Quotient)」と同様に、「自分らしさ」が形成される背景には、「遺伝的要因(Genetic factors)」や「環境的要因(environmental factors)」はもちろん、それらとは少し異なる、個々が持って生まれた「生来的要因(innate factors)」も存在すると指摘されました。

そして、それらが人それぞれ異なる割合で表出したものが「自分らしさ」であり、それは時間の経過とともに変化し得る「流動的(flexible)」な面を持つ一方で、幼少期、少なくとも十代半ばまでに形成された「固定的(fixed)」な側面もある、と補足されました。

とりわけ、「三つ子の魂 百まで(Like father, like son.)」にもあるように、幼少期に形成された「自分らしさ」は、その後の人生に大きな影響を及ぼし、思春期(adolescence)までは少しずつ変化していくものの、それ以降は、大きく変わることは少ないのではないか、とまとめられました。

続いて、「年齢を重ねるにつれて、『自分らしさ』の概念は変化したか」というテーマについても話し合いました。

齊藤さんは、「少しずつ変化した」と答えられました。その中で、とりわけ「自分らしさ」の礎となる、「両親のしつけ」の影響力の大きさについて言及されました。

「人には優しくする」「いつもあいさつをする」「時間や約束を守る」といった、日常生活における基礎基本を、両親から繰り返し教えられたことが、現在に至るまで続く「自分らしさ」の土台になっていることを、改めて実感されたとのことでした。

さらに、そうした教えを素直に受け止めることができた背景には、ご両親との深い信頼関係や、ご家族との豊かなふれあいがあったとも語られました。そして、その大切さを深く心に刻み、ご自身が新たな家庭を持たれてからは、お子さんにも同様のしつけを大切にされてきた、とまとめられました。

世代を超え(across generations)、望ましい「家風(family tradition)」が受け継がれている好例として、とても心に残るお話でした。

内田さんは、「いくつかの転機(turning point)」があったとされた上で、とりわけ「大学時代(university days)」について紹介されました。

「受験(entrance exam)」をゴールとした「暗記型学習(rote learning)」が中心だった中高時代から、「課題解決(problem solving)」へ向かう「探求型学習(inquiry-based learning)」へとシフトした大学時代に、自分が本当に学びたいことと出会うとともに、「自分に合った学び方」や、「自分にとって学ぶ意味」について深く考えるようになったそうです。そして、それこそが、「自分らしさ」を考え、変えていくきっかけになったと語られました。

「仮説検証(hypothesis testing)」を通して、理論的に筋道立てて考える習慣(The habit of thinking logically and systematically)は、「学びの本質」であるとも言及されました。そうした本質に気づき、それを実践できた大学時代は、生涯学習(life-long learning)の礎を築いた時期だったと言えるでしょう。

一方で、振り返ってみれば、中高時代に「基礎的な学習内容(basic learning content)」を定着させていたことが、大学時代の学びを充実させる土台になっていたことも確かであり、中高時代の学びには、暗記偏重で義務的な側面があるとはいえ、「それがあってこそ」と実感する場面は必ず訪れる、ともまとめられました。

その意味で、「すべての学びに無駄はなし(Every lesson is never wasted.)」というくらいの心構えを持っていてもよいのではないか、と語られました。

内田さんの意見を受けて、齊藤さんは、「中高生時代の英語教師との邂逅」について紹介されました。

現在も自主的に英語学習を続けている背景には、「よき教師との出会い」があったことを強調されるとともに、思春期という多感な時期に、尊敬できる大人、目標となるような大人と出会うことが、その後の「自分らしさ」を育む大きな原動力になることもある、と話されました。

そこには、人生における「縁」の不思議さがあり、多感な頃の「出会いを生かす」ことの大切さを、改めて実感させられました。

私は、中学校時代のマイペースな生活によって、学習内容はもちろん、学習習慣そのものが著しく欠如していたため、高校時代の学習には四苦八苦しました。

しかし、その「苦あれば、楽あり(take the good with the bad)」の経験、すなわち、人一倍の試行錯誤(trial and error)を重ねたことによって、自分らしい学習方法や学習習慣を身につけることができ、結果として、「災い転じて、福と成す(Turn misfortune into fortune.)」という心境に至ることができました。

何より、「自分らしさ」は安易に身につくものではなく、「困難を克服した先にこそある」ということ、そして、「自分らしさを身につけるためには、いつでもどこでも勉強あるのみ」というような、地道な処世訓を実感として学べたことは、今に続く人生の大きな財産だったと思います。

一方で、「自分らしさ」という言葉は、美しく響く反面、どこか理想論的、あるいは抽象的に語られることも少なくありません。しかし、自分自身のこれまでを振り返ってみると、私の「自分らしさ」は、その“光”だけでなく、“危うさ”や“身勝手さ”まで含んだ、非常に多面的なものだったように思います。

そんな中でも、幼少期から一貫して変わらなかった私の特徴は、「自分の興味関心を何より優先していた」という点でした。たとえば、本来は「友だちと遊ぶ」という目的で集まっていたにもかかわらず、そこで興味を引く本や漫画を見つけた瞬間、私は自然とそちらの世界へ没入していました。その姿には、「周囲との協調」よりも、「内側から湧き上がる関心」に忠実であろうとする傾向があったのだと思います。

もちろん、それは時に、周囲から浮いて見えたり、理解されにくかったり、あるいは身勝手だと思われたりする危うさも含んでいたでしょう。そして実際、自分自身にも思い当たる節は少なくありません。

しかし一方で、そんな私の「自分らしさ」を、両親はいつも静かに見守ってくれていました。両親が示していた軸は、「人に迷惑をかけるな」という一点だけでした。それ以外については、驚くほど自由を与え、細かな口出しをすることはほとんどありませんでした。

当時は、「親の心、子知らず(Children do not know how dear they are to their parents.)」であり、そのありがたみに気づくことはできませんでした。しかし、自分自身が親となった今、当時の私の「自分らしさ」が、どれほど両親に心配や負担をかけていたかを思うと、胸が痛みます。

それでも両親は、私を無理に「型にはめる」のではなく、「この子の本質が育つ余白」を信じ、静かに待ってくれていたのだと思います。そう考えると、自然と頭が下がりますし、「この両親は越えられない」と感じます。

そして、そうした環境があったからこそ、後の大学空手道部でのストイックな四年間にもつながっていったのでしょう。誰かに強制されたからではなく、自分で選んだからこそ、徹底することができた。そこに、私自身の「自分らしさ」の本質があるように感じています。

若い頃の私は、「自分らしさ」とは、「自分の好きなように生きること」だと、どこかで考えていたのかもしれません。しかし、年齢を重ねる中で、私は、本当の意味での「自分らしさ」は、「好き勝手」とは異なるものだと感じるようになりました。

それは、「自分で選び、自分で引き受ける」という覚悟を伴うものではないでしょうか。さらに、「自分らしさ」は、一人で完成するものでもないように思います。これまでのCECのテーマとも重なるように、人との出会いや関わりの中で、自分自身の輪郭が少しずつ磨かれ、広がり、深まっていくものなのだと感じています。

だからこそ、「自分らしさ」とは、固定されたものではなく、生涯を通して育ち続ける、とても立体的で人間的なものなのではないかと思います。

「自分らしさにつながる名言」として挙げられたのは、
「怒らず、人と比べず、面白がって、平気で生きればいい(Don’t get angry, don’t compare yourself to others, enjoy, and just leave your life with ease.)」は、齊藤さんが紹介された樹木希林さんの名言です。

在りし日の樹木希林さんは、その飄々とした演技とキャラクターで、多くの人々に親しまれていました。そんな彼女のこの名言には、ふだんは肩肘を張って生きなければならない私たちの心を、ふっと軽くしてくれるような温かさがあります。

内田さんは、とりわけ「人と比べず」という部分について、「大切な状況(major situation)」では比較が必要なこともある一方で、「具体的な状況(specific situation)」においては、比較よりも「自分らしさ」を優先し、「わが道を行く」くらいでちょうどよいのではないか、と言及されました。

また、「怒らず」という言葉についても深い共感を示され、「比較」と同様に、他者よりも、自分らしさへ心を向けることの大切さを語られました。私自身も、内田さんと同様に、「人と比べず」という言葉がとても印象に残りました。

しかし、相手が存在する以上、そこには何かにつけて競争が生まれ、比較が起こるのが、「人間の常」です。「比較せず」は、まさに「言うは易し、行うは難し」なのだと思います。

だからこそ私は、それを実践するために、しばしば自分自身の強味に目を向け、「他者との競争」ではなく、「自分との競争」に挑戦してきました。たとえば、新採時代、私は二人のベテラン教師にはさまれた「一年B組」を担当していました。日夜「試行錯誤」の連続であり、生徒たちからはしばしば「新米先生」と揶揄されることもありました。

しかし私は、「経験に乏しい自分が、今すぐ両ベテランのような学級経営をできなくて当然だ。ただ、田舎の学校において唯一の英語専科教師なのだから、たとえ経験不足でも、英語指導だけは一角になれるようベストを尽くそう」と気持ちを切り替えました。つまり、「最も身につけるべき自分らしさ」を見極め、そこに焦点を絞り、集中したのです。

振り返れば、今日まで続く私の「自分づくり」の原型は、まさにここにあったように思います。そしてそれは、結果として、私にとって大きな財産となりました。

「自分らしさは、先天的・後天的に得るものによって形成されるが、その割合は千差万別である(Authenticity is formed by both innate and acquired factors, but the proportion of each varies greatly from person to person.)」という内田さんの言葉についても考えさせられました。

過日、小枝さんが、「昨今の研究によれば、知能指数(IQ)は親、すなわち遺伝的要因によってかなり左右されるという検証が数多くなされている」と話されていました。同様に、感情指数(emotional quotient)にも遺伝的要因が大きく影響すると考えるならば、それに大きく関わる「自分らしさ」に対して、後天的な環境、人との出会い、そして、さまざまな体験が、どのような意味を持っているのかを、改めて深く考えさせられました。

「Authenticity flourishes where freedom exists alongside humility, discipline, and responsibility.(真の個性は、自由と謙虚さ、規律、そして責任感が共存する場所でこそ花開く)」は、私が選んだブルース・リーの名言です。私は、この名言に、これまでの自分自身の「自分らしさ」の変化と成熟が、極めて凝縮された形で表現されているように感じました。

若い頃の「自分らしさ」は、多くの場合、「自由」と強く結びついています。「自分の好きなように生きたい」「自分の興味に正直でいたい」「他人に流されたくない」。そうした感覚は、「自分らしさ」の出発点として、非常に重要なものだと思います。しかし一方で、その自由は、放っておけば簡単に「自己中心性」へと傾いてしまう危うさも抱えています。

だからこそ、「自分らしさ」を語る際には、「自由こそ正義だ」と声高に叫ぶのではなく、「本当の自由とは何か」を問い直す姿勢が大切なのだと思います。そこで重要になるのが、この名言の後半にある「謙虚さ(humility)」「鍛錬(discipline)」「責任(responsibility)」です。私は、この構造は非常に深いものだと感じています。

自由だけでは、人は散漫になります。
鍛錬だけでは、人は硬直します。
責任だけでは、人は苦しくなります。
謙虚さだけでは、人は自分を見失うことがあります。

しかし、それらが共存するとき、初めて「自分らしさ」が“花開く”。この flourish という表現も、実に美しい言葉だと思いました。なぜなら、「自分らしさ」は、「完成された固定物」ではなく、条件が整うことで、少しずつ育ち、咲いていくものだという感覚が、この言葉には込められているからです。

そして、その「条件」を育ててくれた存在として、私の場合、両親の存在を抜きにして語ることはできません。自分勝手な「自分らしさ」に埋もれていた当時の私を、両親は無理に「型にはめる」のではなく、「本質が育つ余白」を信じてくれていました。その姿勢は、まさに、「自由(freedom)」と「謙虚さ(humility)」の両方につながっていたように思います。

「支配」ではなく、「信頼」によって私を育ててくれた両親は、今振り返ると、私よりもずっと成熟した親だったのかもしれません。そして、それは、私の「大学空手道部での四年間」とも密接につながっているように感じます。

一見すると、「自由」と「鍛錬」は、まったく別のもののように思えます。しかし、それらを統合したところにこそ、本当の自由があるのではないでしょうか。すなわち、本当の自由とは、単なる気ままさではなく、自らを鍛え抜いた人間だけが到達できる境地なのだと、私は思うのです。

リーの名言は、これまで私が歩んできた人生そのものと、深く響き合っているように感じられます。そして最終的に、「自分らしさ」が、「好き勝手」から、「選び、引き受け、磨き続ける生き方」へと変化している点に、私は大きな共感を覚えます。

「自分らしさ」への模索とは、「人はどう生きるか」を静かに問い続ける、非常に哲学的で、なおかつ温かな時間になっていくのではないでしょうか。

齊藤さんは、本来、「表裏一体(two sides of the same coin)」であるはずの「自由と責任」が、規制(regulation)を軽視する風潮の中で、「自分勝手(selfish)」へと傾き、それが世の中にあふれるようになって久しいことに言及されました。

そして、「自分らしさ」は「自分」だけに存在するものではなく、「他者」にも同様に存在している以上、それを互いに尊重し合わなければならないにもかかわらず、昨今は、その意識に著しく欠ける人々が増え、社会そのものが変質しつつあるのではないか、と指摘されました。

さらに、他者や周囲との関わりの中でこそ、「自分らしさ」に気づき、それを育てていくことができるという観点から、「不登校」の問題についても言及されました。それは、将来の日本社会を見通す上で、最も深刻な問題の一つではないか、という問題提起でした。

多感な時期に、学校や集団から離れ、孤立した状態の中で、「自分とは何か」を学んだり、「自分の能力や適性」に挑戦したりする機会を持てない青少年が、どのような「自分らしさ」を身につけ、どのように将来を切り拓いていけるのか。さらに、「不登校」が、そのまま「引きこもり」へ移行するケースも少なくないことを踏まえると、現実的な支援や対応が、今後ますます必要になるのではないか、と示唆されました。

内田さんもまた、「自分らしさ」は、人間関係(human relationship)や外的環境(external environment)によって、少しずつ豊かになっていくものだと語られました。そして、そうした関係性から切り離された状況の中で形成される、「脆弱な自分らしさ」への危機感についても言及されました。

続いて、「自分らしさを漢字一字で表すと」というテーマについても話し合いました。

齊藤さんは、「楽(pleasure)」という漢字を選ばれました。希林さんの名言にもあるように、「自分らしさ」には、努力して育て上げる部分はもちろん、自分にとって心地よい感覚の中で、屈託なく、のびのびと育っていく部分があってもよい、と私も思います。

私自身の人生を振り返ってみると、子どもの頃は「のびのび」と、そして成長するにつれて、「びしびし」と「自分らしさ」を育ててきた感覚があります。しかし結果として、それは私にとって、とても望ましい過程だったように感じています。

もし私の性格に対して、幼少期から親や周囲が、びしびしと厳しく干渉していたならば、ひょっとすると、どこか歪んだ「自分らしさ」の持ち主になっていたかもしれません。

内田さんは、「自(self)」という漢字を選ばれました。内的要因、外的要因など、さまざまな要素が個々の状況の中で独自に作用するとしても、「自分らしさ」が育っていく過程には、常に「初めに自分ありき」という視点がある、という意味合いが込められていました。

これまでの話し合いの中で挙がってきた、「自己表現」「自己責任」といった言葉も、突き詰めれば、すべて「自」に帰結するとも言えるでしょう。

私は、「信」という漢字を選びました。幼少期から少年期にかけての私は、今振り返ると、「自分らしさ」と呼ぶには、どこか「心得違い」とも言えるような、かなり独りよがりな部分を持っていたように思います。

しかし、そんな当時の私を、両親は頭ごなしに否定することなく、静かに見守ってくれていました。きっと心のどこかで、「この子も、いつかわかる日が来る」と信じ、待っていてくれていたのだと思います。そう考えると、私と両親との関わりは、「信」という一字に凝縮されているように感じます。

もちろん、「自分らしさ」を育てる上で、「自分を信じる力」は非常に大切です。周囲に流されず、自分の内側にある声に耳を傾けるためには、自分自身への信頼が必要だからです。しかし、それだけでは、人は本当の意味で安定した「自分らしさ」を育てていくことは難しいのではないでしょうか。

やはり、人が少しずつ自分自身を受け入れ、自分らしく成熟していくためには、「あなたはあなたのままで大丈夫だ」と、静かに信じてくれる存在が必要なのだと思います。私にとって、その存在が両親でした。両親は、私を無理に「型にはめる」ことなく、未熟さや危うさも含めて、私自身の成長を信じてくれていました。

その「信頼」があったからこそ、私は失敗しながらも、自分で考え、自分で選び、自分で責任を引き受けることを学んでこられたのだと思います。そして年齢を重ねる中で、私は、「自分らしさ」は孤独の中で完成するものではなく、「信頼」の中で少しずつ安定し、成熟していくものなのだと感じるようになりました。

さらに、今回「印象に残った漢字」として挙がったのは、「信(齊藤さん・内田さん)」「楽(小野)」でした。

その話し合いを通して、「自分らしさ」は決して「独り善がり」の中で育つものではなく、他者や周囲との「相互信頼」の中で、「豊かな人間性」の一部として育っていくものだという点で、メンバー間の意見が一致しました。

最後のフィードバックでは、齊藤さんが「曖昧模糊とした単語としてスタートした “authenticity” だったが、チャッピーで調べたり、今回話し合ったりしていくうちに、実にユニークで興味深い単語になってきた。そこに、英語学習の難しさと楽しさがある」と語られました。

また、内田さんは「どんな単語も、とりわけ抽象語は、『日本語と英語が一対一で対応する』ことはありえない。加えて、日本語の解釈でさえ、個々の違いが少なからずあり、『定義(definition)』を決めずに話し合っていく難しさを感じることが多かった」とまとめられました。

私自身も、今では幼児でも知っている「コミュニケーション」という単語を、高校生になって初めて耳にしたとき、まったくピンと来なかったことを思い出しました。さらに、教師になってからは、この言葉を何度も使うようになりましたが、教師間でも、そのニュアンスには微妙な違いがあり、それが個々の授業スタイルにも色濃く反映されていたように思います。

だからこそ、トピックというものは、定義を定めて収束させるのもよし、あえて定義を固定せず、紛糾しながら深めていくのもまたよしなのだと思います。今後も、臨機応変に話し合いを進めながら、その過程そのものを大いに楽しんでいきたいと思います。

5月24日活動予定

【次回(5月24日)CEC活動予定】

TOPIC:Authenticity(自分らしさ)

1. What images come to your mind when you hear the word ‘authenticity’ ?

2. Who helped you understand the meaning of authenticity in life ?

3. Has your idea of authenticity changed as you have grown older ?

4. Show us an impressive quote related to authenticity. 

5. If you were to express the meaning of authenticity in kanji, what would it be ?

 前回の「本質(essence)」をめぐる意見交流では、平均や統計をはじめとする「外側」の指標だけに振り回されることなく、物事の「内側」にある意味や価値に目を向けることが、より納得感のある選択、さらには生き方につながるのではないか、という考えが共有されました。その過程では、「本気→本質→本物」という流れ、さらに、それらを支える「基本」の大切さについても交流しました。その中で、「では、“本物”とは何だろうか」という問いが自然に生まれ、「authenticity(オーセンティシティ)」という言葉が話題に上がりました。authenticity は、日本語では「真正性」「真実性」「信頼性」など、やや硬い訳語が並びます。しかし、英語の “authentic” には、本来もっと人間的で温かみのあるニュアンスが含まれているように感じます。つまり、“authenticity” とは、「自分の本質(essence)に忠実に生きている状態」と考えることもできるのではないでしょうか。私はこれを、「真正性→本来の自分に忠実であること→自分らしさ」と捉えてみました。物事の核や本質を見抜こうとするessenceから、自分自身の本質に従って生きようとするauthenticityへ。その流れの中で、今回は「自分らしさ(authenticity)」を次回のトピックとして取り上げることにしました。具体的なエピソードも交えながら、自由な意見交流を楽しみましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 6月7日(日)

ハーモニーステーション岐阜4周年イベント(8.5.17)

昨日、「ハーモニーステーション岐阜4周年イベント(ピアニスト小雨さんのストリートライブ)」に出かけてきました。You Tube(ピアニスト小雨(こさめ)) における告知を拝見して以来、ずっと心待ちにしていたライブでしたので、当日を迎えられたことをとてもうれしく思いました。

午後3時ちょうどにステージへ立たれた小雨さんは、イメージ通りの清楚な雰囲気で、セーラー服の装いもたいへんよくお似合いでした。さらりと自己紹介をされた後、「どこからみえましたか?」という問いかけに、県外から来られた方々が数多く挙手されていた光景が印象的で、小雨さんの人気の広がりを改めて実感いたしました。

また、「始めた頃は、『まちがえたらどうしよう』という気持ちで弾いていたピアノが、ストリートライブをするようになってから、自分の演奏で人と人をつなげられるものだとわかりました。今は、ピアノを通して、音楽の楽しさを多くの人に伝えたいと思っています」と語られたお言葉が、とても心に残っています。

音楽に詳しくない私が申し上げるのも恐縮ですが、そのお話を伺いながら、私はふと、「ピアノは人を映し、人はピアノを映す」ということを思いました。小雨さんの演奏には、単なる技巧だけではなく、そのお人柄や人生観までもが自然に表れているように感じられたからです。

ライブは、ショパンの「幻想即興曲」、そして『ハウルの動く城』の「人生のメリーゴーランド」からスタート。私はステージ左斜め前あたりの席で拝聴していましたが、しっとりとした生演奏はもちろん、しなやかな身のこなしや、踊るように、しかし繊細に鍵盤の上を移ろう指先に見入っているうちに、私自身もすっかり“小雨さんの世界”に引き込まれていきました。

さらに、「トルコ行進曲」の演奏では、途中にJ-POPや映画音楽のフレーズを巧みに織り交ぜ、観客にクイズ形式で楽しませてくださったり、ジャズ風のアレンジを披露してくださったりと、音楽の新しい楽しみ方に触れさせていただいた気がします。「音楽とは、こんなにも自由で、遊び心に満ちたものなのだ」と感じさせていただきました。

しばらくして、YouTubeでも紹介されていた曲を二曲演奏してくださるとのことで、胸を高鳴らせながら待っていると、一曲目は「宇宙戦艦ヤマト」。高校一年生の初デートで観た、忘れられない映画の主題歌でした。そして二曲目が「Honesty」。学生時代から今日まで、私のカラオケの十八番であり続けている、ビリー・ジョエルの名曲です。

まるで私のリクエストに応えてくださったかのような選曲に、感激もひとしおでした。どちらの曲も、小雨さんの演奏に合わせて、自然に歌詞を口ずさむことができ、「今日は本当にライブに来てよかった」と、思わず笑みがこぼれました。

ライブ中盤には、「ピアノに関する○×クイズ」などの企画もあり、とりわけ印象に残ったのが、「ピアノの鍵盤の数は68である」という問題でした。答えが「×(86鍵)」だと知り、「なるほど」と感心いたしました。

その際、観客席からステージへ上がった小学三年生くらいの男の子が、一つひとつ鍵盤を叩いていき、それに合わせて小雨さんが「1、2、3…」と数えていかれる様子は、何とも微笑ましく、会場全体が優しい空気に包まれていました。

さらに、80を超えたあたりで数が混乱し、「私、飛ばしちゃったかな。ごめんなさい、80からもう一回数えようか」と男の子に優しく声をかけられた場面では、会場から自然と笑顔が広がり、ライブの温かさがより深まったように思います。

鍵盤を数え終えた後、小雨さんと握手を交わした男の子が席へ戻ると、お母さまが満面の笑みで「よかったね」と耳打ちされていました。そのやり取りから、その子が“ピアノ少年”であることが伝わってきて、きっとこの日は、この親子にとって忘れられない思い出になったのだろうと感じました。

ちなみに、「三人勝ち残り戦」のクイズでは、私の左右に立っておられた方々が見事景品を獲得され、少しうらやましく思いました。一方で、景品を手渡しされる際、間近で小雨さんを拝見できたことは、私にとって幸運な出来事でした。その後も魅力的な演奏が続き、途中、一瞬「楽譜」が閉じてしまうハプニングさえも、小雨さんらしい温かな空気に包まれていたように感じます。

そして最後の曲、「糸」。かつて勤務していた中学校の「三年生を送る会」で、「教師から卒業生へ贈る歌」として職員合唱をしたことがあり、それ以来、「誕生」と並び、私にとって最も大切な中島みゆきさんの曲となっています。その「糸」を、小雨さんの演奏で聴かせていただけたことは、きっと一生忘れることはないと思います。本当に、すべてが夢のような、あっという間の一時間でした。

ライブ終了後には、グッズが売り切れてしまい購入できなかったにもかかわらず、直接お話しする機会までいただきました。そこで手渡した、当日の朝に書いた手紙に綴った「宇宙戦艦ヤマト」と「Honesty」を実際に聴かせていただけたことも、かけがえのない思い出となりました。

今回のライブを通して、私は小雨さんから、ピアノの美しさだけではなく、「音楽そのものの楽しさ」を確かに伝えていただきました。心より感謝申し上げたいと思います。今後さらに、小雨さんのYouTube動画にはまりそうです。また機会があれば、ぜひ岐阜へお越しいただきたいです。私も東海三県をはじめ、足を運べる場所であれば、またぜひライブへ伺わせていただきたいと思っています。

どうかお身体を大切になさり、今後ますますご活躍されますことを、心よりお祈り申し上げます。

 

Yesterday I attended a street piano live event by a pianist named Kosame in Gifu.

What impressed me most was not only her piano technique, but also the warmth she created among people.
She said that when she first started playing piano, she was always afraid of making mistakes. But through street performances, she realized that music could connect people.

During the concert, she played classical music, movie themes, and pop songs with humor and creativity.
At one point, a young boy came onto the stage to count the piano keys together with her. The audience smiled warmly, and I felt that music had turned strangers into one small community.

Then she played two songs deeply connected with my own memories: “Space Battleship Yamato” and Billy Joel’s “Honesty.”
As I quietly sang along in my heart, I thought, “I’m really glad I came here today.”

Music is not only something we listen to.
Sometimes, it gently reconnects us with our memories, our emotions, and even other people.