Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

9月8日活動予定

【次回(9月8日)CEC活動予定】

TOPIC:Parent(親)

1. What images are you in mind when you hear the word ‘parent’ ?

2. What is(or was) your relationship like with your parent(s) ?

3. What was the most memorable story, incident, or lesson you learned from your parent(s) ?

4. Show us an impressive quote related to parent.

5. If you were to express the meaning of parent in kanji, what would it be ? 

 前回「成功」についての意見交流を深めるうちに、個々のメンバーが身近なご家族(の成功)から少なからず学ばれていると感じました。とりわけ、親子間の日常的な機微が、個々の生き方はもちろん、人生における成功と失敗をもたらす契機にもつながると実感しました。「親はなくとも子は育つ(Children grow up somehow, even without parents.)」といわれる一方、「三つ子の魂百まで(The child is the father of the man.)」といわれると、親のあり方が子に及ぼす影響は看過できないものがあります。ずいぶん前から、家庭においては「友だち親子」、教育現場においては「モンスターペアレンツ」なる言葉が浸透し、時の流れとともに、親子関係はずいぶん様変わりしたと私は思います。親子の形は親子の数だけあるとはいえ、情報化社会において、「わが家はわが家」というかつての流儀は通用しなくなるばかりか、周囲や世間の目を意識した「横並び意識」がより顕著になっているといえなくもありません。「親になる」ことはできても、「親である」ことは難しいといわれる今、次回は「親(parent)」について、個々の体験も踏まえ、自由闊達に話しましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 9月22日(日)

8月25日活動報告

【8月25日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>5名(男性2名 女性3名)内田さん・齊藤さん・藤堂さん・長瀬さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 大阪から、新メンバー齊藤さんを迎えることができた前回。近況報告では、実家に帰省中の藤堂さんが、3歳の姪っ子さんのティーンエイジャー顔負けなおしゃべりを明るく紹介してくださいました。他所のお子さんに久しぶりに会うと、「ちょっと見ないうちに…」はしばしばですが、身内のお子さんの成長には目を見張るものがあったようです。男女の違いはあれど、ご自身の4カ月のお子さんに、姪っ子さんのかわいらしい成長が重なるところもあったことでしょうか。勢いよくおしゃべりを楽しむ姪っ子さんのご様子を聞き、「三つ子の魂百まで」ならぬ、「三つ子のおしゃべり百まで」と、ほっこりいたしました。初参加の齊藤さんは、ご家族と愛猫、ご趣味について、テンポよく話していただきました。画面後方に映える立派なキャットタワーを拝見するにつけ、愛猫を交えた和やかなご家庭の様子が垣間見えました。内田さんは、6年前に大阪に上陸した台風21号と台風10号が同様のコース、勢力だったことで、関西国際空港が冠水した21号同様の猛威を懸念されていました。岐阜でも前日夜遅くに猛烈な雷雨が発生。あまりに突然だったため、私はそれが雷雨とは思わず、“フル稼働”しているエアコンが故障した音だと思ったほどでした。いずれにせよ、「台風シーズン」はこれからです。年々加速する異常気象を思うと、「備えあれば、憂いなし(Preparation is the first step to success.)」といったところでしょうか。トピックに入り、「成功のイメージ」を交流。内田さん(happiness)、齊藤さん(effort)、長瀬さん(fulfillment)、小野(contribution)などが出ました。さらに、お金や社会的地位、名声は成功の一つの尺度ではあるが、それは成功の「結果」の一つであり、「ゴール」ではないという点で、メンバー全員が共通していました。「時とともに移り変わってきた個々の成功の定義」では、内田さんは今現在にフォーカスされ、家族や身近な方々との安定した幸福を挙げられ、社会の第一線でご活躍の頃の成功は「公私ともに新しいことへの挑戦」、第一線を退かれてからの成功は「築き上げてみえた今現在の安定」と話されました。齊藤さんは、子ども時代には「成功」についてあれこれと考えたことはなかったが、社会に出られた後に、仕事を通じ、「日々の小さな成功、小さな幸せを感じながら、日々成長できること」が、少しずつ成功につながってきたと感じてみえました。「急がば曲がれ(Slow and steady wins the race.)」ならぬ、「ゆっくり着実にが成功(Slow and steady leads to success.)」と実感しました。長瀬さんは、子ども時代は外見的な「目に見えるもの」に、年を経るごとに、内面的な「目に見えないもの」に成功を見出すようになったと話されました。他者との比較や競争、メディア情報に左右されがちだった青少年期から、人生経験を重ねられた後、ご自身が培われた価値観などで、「成功(≒ご自身の人生のプライオリティ)」の何たるかを自覚されてきたと私は感じました。私は月並みですが、子ども時代は「学校の成績や部活動の成果」に成功を重ねていました。学校の成績は勉強不足でほめられたものではなかったので、部活動の成果といった方が妥当かもしれません。学生時代は「空手道部」への入部を決意して以来、その後の4年間を空手道と“心中”するつもりだったので、日々の練習はもちろん、大会における成果に成功を見出していました。職場では、目の前の生徒たちが「生き生きと英語を使える」ようになれるように、自身の英語はもちろん、教育観や指導技術を磨くことを成功と考えていました。それは今に続く「成功≒貢献」という私の成功観のコアとなり、CECにおいても生かされています。長瀬さんは「貢献」について、自分の貢献が実感できれば、自分が成功するのはもちろん、周囲の評価、しばしば感謝の輪が広がる。それが深まれば、人間関係をはじめとするさまざまな好循環が生まれ、さらなる成功や新たな成功の契機が生まれるのではと追加されました。「知っている最も成功している人物」としては、内田さんは、プロアマ、有名無名にかかわらず、引退後も野球を続け、次世代の子どもたちを育てている元選手たちを挙げられました。齊藤さんは、3歳の頃に口にしていた将来の夢を、紆余曲折を経て、ついに実現された次男さんのキャリアストーリーを話されました。就職試験で結果が出ず、別会社で臥薪嘗胆。決してあきらめることなく、「その時」に向かって準備を怠らず、長い時を経て念願成就された話をうかがい、「連続(succession)あればこその成功(success)」を痛感しました。長瀬さんは、家族はもちろん、さまざまな貢献活動を通じ、地域の多くの方々から感謝されてみえるお父さまのエピソードを話されました。とりわけ、自宅近くのスクールゾーンで、登校する小学生と明るく自然な挨拶を交わし、彼らの日々の安全を見守られているご様子に、齊藤さんの息子さんと同様、「連続(succession)あればこその成功(success)」が重なりました。とともに、成功とともにある、相手や周囲との豊かな心情の交流の大切さを再認識しました。また、そんなお父さまの背中を見て、「人としての豊かさ」などを少しずつ培われてきた長瀬さんに、私は成功の一つの形を見た思いがしました。私は、自身の半世紀にわたる人生の師ともいえるブルース・リーを紹介させていただきました。プロアマを問わず、その圧倒的な実績と存在感で、武道家として、世界的名声を博しているリー。アジア人初のハリウッドスターとしても、今なお燦然と輝き、他の追随を許しません。その成功に至る過程は苦難の連続で、小柄な身体を日々の厳しい鍛錬で鍛え上げるとともに、当時根強かったアメリカ国内、また、ハリウッドにおける人種差別などの偏見を、その実力で打ち破ってきました。「環境なんて、糞くらえ。俺は自分でチャンスを作る(To hell with circumstances; I create opportunities.)」という彼の負けん気は、あらゆる成功の礎だったと私は思います。成功を支える強靭な精神は、一朝一夕で身につくものではありませんが、日々の事象への真摯な取り組みの連続が、それを育み、成功を確かなものにしていくにちがいありません。「成功にかかわる名言」は、「私たちの目の前には困難が立ち塞がるものだが、とにかく進め、挑戦せよ!(There are difficulties in front of us, but just proceed and challenge !)内田さん」「貢献が成功につながる(Contribution leads to success)リーダーシップが成功の鍵の一つになり得る(Leadership could be a part of our success.)習うより慣れろ(Practice makes perfect.)長瀬さん」「人は多くの失敗をしてこそ、成功する(People have many failures before they succeed.)齊藤さん」と、今回のチャットを通じ、個々が注目されたキーワードをもとに、オリジナルな答えをいただきました。私は長瀬さんの答えをうかがい、かつての職場の先輩の口癖「完璧に習い、完璧に慣れろ(Perfect practice makes perfect)」を懐かしく思い起こし、成功の秘訣は日々の心がけや習慣にあると再確認しました。さらに、ブルース・リーの名言 「Optimism is the faith that leads to success.(楽観主義は成功につながる信念だ)」を紹介させていただくと、内田さんから「楽観主義≒積極性(Optimism≒positive mindset)」とのご指摘をいただき、成功に求められる「攻めの姿勢」の大切さを思いました。ちなみに、リーの場合は、成功を阻害する日々の、周囲の軋轢を克服する上で、楽観主義(明るい未来を思い描くこと)は不可欠であり、それらを実現させるための並外れた行動力が、彼を彼たらしめたといえます。楽観主義は「なる(状態)」ではなく、「持つ(動作)」であり、その根拠となる行動を起こさなければ、決して続くものではないでしょう。「成功を漢字で」は「幸(内田さん)」「喜(齊藤さん)」「満(長瀬さん)」「誠(小野)」。個々のここまでのご意見を漢字一字にまとめられ、すべてが人生の明るさを映し出していました。長瀬さんは、お父さまが地域貢献を大切されるお気持ちとして、自分のしていること、しようとしていることが、周囲に笑顔をもたらし、つながる人々や環境などが少しずつ変わっていくことで、自分の内面が豊かに満ちていくのではないかと話されました。「周囲のためは自分のため、自分のためは周囲のため」。そんな心豊かな好循環を生み出すことは、「情けは人のためならず(What goes around comes around.)」そのものですね。それをごく自然に実践されてみえるお父さま、そのお父さまをロールモデルとされてみえる長瀬さん。「親の背を見て、子は育つ(Children learn from their parents.)」とともに、いわゆる「家風」はこうした日々の諸々から少しずつ積み重なるものだと感じました。また、「満」を感じる過程で、一つの「道」が生まれ、それまでの自分が一歩一歩成長し、「未知」の自分にも出会えると思いました。私は「成功」の「せい=(事を)成(す)」に注目。「せい」につながる漢字4つを「晴」「勢」「省」「誠」とし、さらに、成功に向けた「4つのせいこう」として、「晴行→勢攻→省考→誠興」を挙げさせていただきました。常に「晴行(晴れやかな明るい行動)」を心がけ、自分の夢や目標などがクリアになったら、日々の積み重ねにとどまらず、ここ一番においてはとりわけ、「勢攻(勢いに乗じた攻め)」に徹する。一方で、常に自身の足元を見つめ直す第三者的な視点を忘れず、折々には冷静に立ち止まり、「自身を省み、現状はもちろん、来し方、行く末を考察」、その上で「自身の誠を尽くして興隆」。このサイクルを広げ深めることが、成功を確かで豊かなものにするだけでなく、新たな成功のきっかけになっていくと私は思います。内田さんはこの中では「誠」に、齊藤さんは「省考」に着目され、個々のご意見を述べられました。成功には「動的(dynamic)」「静的(static)」な両面があると私は考えますが、それらを車の両輪のごとく、バランスよく起動させることなしに、真の成功は望むべくもありません。一時の成果に浮かれていては、成果そのものが雲散霧消するばかりか、「成功は失敗の元」になることも。一方、一つの失敗から多くを学び取る謙虚さがあれば、「失敗は成功の元」となり、「あの失敗のおかげで」と失敗に感謝できる日も来るでしょう。詰まるところ、「成功は(学習)習慣の賜物」と私は考えます。

 

 

8月25日活動予定

【次回(8月25日)CEC活動予定】

TOPIC:Success(成功)

1. What images are you in mind when you hear the word ‘success’ ?

2. How has your definition of success evolved over time ?

3. Who is your most successful person you know ?

4. Show us an impressive quote related to success.

5. If you were to express the meaning of success in kanji, what would it be ?

 前回「五輪」について、話し合いを進めるうちに、小枝さんから「五輪選手が現役引退後の長き人生をどのように過ごしていくかにたいへん興味がある」という指摘をいただきました。どれだけ努力し、研鑽を積んでも、選手寿命には限りがある一方、「引退の時」は社会的にはいわゆる「働き盛り」。引退後の人生プランがなければ、五輪の栄光が手枷足枷になったり、ときにそこに踏みとどまる、さらに、そこに執着し、人生を踏み外してしまった元選手の話を聞くことさえあります。世界中の人々の注目を浴び、憧憬の的だった元選手が、その後の人生でまったく異なる人生を歩むことになるのはなぜか。勝敗にかかわらず、「五輪」というかけがえのない檜舞台に立った選手は、本番はもちろん、そこに至る過程の中で、人生の何たるかを学び、五輪本番ではある意味、“神の領域”に足を踏み入れていると私は思います。そんな彼らの引退後の人生のキーワードとして、私はまず「成功(への考え方)」をイメージ。「失敗は成功の元」である一方、「成功は失敗の元」ともいえる諸刃の剣になりうる「成功」について、次回はさまざまな観点で自由闊達にチャットを楽しみましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 9月8日(日)

 

8月11日活動報告

【8月11日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>3名(男性2名 女性1名)内田さん・小枝さん・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 今回は「トピックのみで90分間」の例会に初チャレンジ。3名の参加者ながら、お互いの意見にコメントや質疑応答を重ね、ふだんにも増して充実したチャットを楽しむことができました。「五輪のイメージ」は、小枝さんが複数の視点で示唆に富む話をされました。まずは、新旧の「東京五輪」を比較。各々の時代背景も踏まえつつ、年齢を経て感じられたご自身の五輪への思いの変化を紹介されました。両大会ともに、選手たちの超人的パフォーマンスに目を奪われたものの、2回目の東京大会では、そこに至るまでの彼らの目に見えない努力にも思いを馳せるようになり、そこに自身が見聞されてきた人生経験を重ねてみえました。一方、五輪に人生のすべてを捧げてきた彼らが、その後長く続く人生でどんな歩みをしていくのかにたいへん興味があるとの指摘も。「競技人生」が「人生」にどうつながっていくか、というより、「競技人生」を「人生」にどうつなげていくかこそ、選手の「真価」だとされました。五輪後の自分を進化、深化させてこそ、真価あり。私もまったく同感です。また、年齢を重ねるごとに五輪の明るい面だけではなく、暗い面を感じることが増え、年々盛大に開催される五輪の陰で、紛争や分断、貧困などが広がる世界情勢が見えにくくなるのではまとめられました。内田さんは、五輪開催国が総力を挙げる「開会セレモニー」はもちろん、五輪のたびに、選手たちが生み出す「記録更新」の陰には、着実なテクノロジーの進化があることを指摘。選手たちの日々の鍛錬の賜物である研ぎ澄まされた身体やスキルなどを支える用具などの側面にも注目すべきだとまとめられました。私は、「五輪と商業主義」との親和性を、そのきっかけとなった「ロス五輪(1984)」をもとに話しました。大会当時、大学生だった私は、競技と同じくらい、同五輪の最大スポンサーだったコカコーラの存在感が印象に残っています。大会期間中にテレビで何度も見聞きしたコカコーラのコマーシャル。その影響力は計り知れないと実感しました。その煽りもあってか、同大会の最大のスーパースターだったカールルイスを思い出すと、今もなぜか、コカコーラが思い出されます。また、五輪には「コメンテーター」の存在が欠かせません。ロス五輪では、巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄氏が華々しくデビューを飾り、スタンドから「ヘイ、カール」とカールルイスを呼び、笑顔で振り向かせたシーンが今もまざまざと蘇ってきます。パリ五輪においては、シドニー五輪(2000)女子マラソン金メダリスト高橋尚子氏が、パリ市内のコースを3回試走。自身の五感で、当日の実況のポイントを事前確認したそうですが、コメンテーターとしての「プロ意識」というか、「オリジナリティ」には言葉がありません。金メダル獲得直後に、爽やかな笑顔で「すごく楽しい42キロでした」と言ってのけた彼女の面目躍如といったところでしょうか。イメージを交流するうちに、意見はさらに広がり、内田さんから「2週間という開催期間中に、世界のメジャースポーツとトップ選手が一堂に集結する五輪は『スポーツのデパート』と呼ぶにふさわしい」との意見が。「スポーツの祭典」といえば、「サッカーワールドカップ」がメジャーですが、五輪もそれに匹敵する存在であることに異論の余地はありません。一方で、内田さんが教えてみえるスリランカの学生さんには「自国選手があまり参加していない五輪への興味はそれほどでもない」との声もあるとか。「選抜高校野球」において、個々の出身都道府県や縁のある都道府県のチームを応援すると同様、五輪においても、個々の国の出場選手や出場チームは、その国民の五輪への関心度を大きく左右するでしょう。私たちは「五輪と楽しめる」アドバンテージを享受していますね。私は、五輪から「嵐(storm)」をイメージします。昔から「五輪には魔物が棲む」といわれますが、まさかのアクシデントやハプニングなどにより、「強者必ずしも勝者ならず」というシーンを数多く見聞きした者としては、その目まぐるしい勝敗の行方はまさに「嵐」と呼ぶにふさわしいと思うのです。すべての選手が大なり小なり、個々の嵐に遭遇するかと思いますが、それをどう凌ぐことができるか。心身の総合力が問われるでしょう。「五輪で最も好きな競技」は、「体操(小枝さん)」「野球(内田さん)」「柔道(小野)」。最初の東京五輪における金メダルラッシュ以降、体操に注目されている小枝さん。「日本のお家芸」とされ、「メダル獲得」に最も近い競技の一つとみなされている体操は、パリ五輪では、橋本選手を筆頭に、スター選手を擁して、個人タイトルはもちろん、団体金メダルも獲得。栄えある日本体操界の歴史に新たな1ページを刻みました。常人には及びもつかない超人技に加え、世界的に確固たる地位を築き上げている日本の体操は、日本人が最も注目する競技の一つでしょう。私自身は中学2年時、モントリオール五輪で1学年上のナディア・コマネチ選手(ルーマニア)が、近代五輪史上初となる10点満点を連発し、金メダル3個、銅メダル1個、団体銀メダルを獲得したことが忘れられません。白のレオタードで華麗に舞う彼女は、日本では「白い妖精」と呼ばれ、当時絶大な人気を誇りました。自分たちが「中体連」の結果に“一喜一憂”して一方で、同世代のコマネチは五輪の金メダリスト。彼女の才能には驚嘆するしかありませんが、何ともいえず、割り切れない思いにも駆られました。日本プロスポーツ界に長く君臨してきた野球は、今も競技人口は多く、五輪では毎回開催されていませんが、プロとアマの混成チームに始まり、短期決戦独特のストラテジーに裏打ちされた緊迫感あふれる試合展開が、多くの日本人の心をとらえて離さないでしょう。柔道は日本発祥の競技であり、いやが上にも注目を集めます。勝敗はもちろん、しばしば、勝ち方や負け方まで問われ、選手たちのプレッシャーやストレスも相当なものがあると私は推察します。私自身は、2校目の勤務校以降、退職するまで、ずっと柔道部顧問(学生時代、私が空手道部員だったので、柔道もできるだろう?という理屈で。どちらも、白い道着に、帯を締める競技だから、似たようなものという感じだったようで。ただ、少し考えればわかりますが、柔道の基本は引く、空手道の基本は押す(突く)。ある意味、真逆の競技だと私は思います。余談ながら)だったので、柔道ではしばしば、文字通り「観戦(『観』て畳の上で一緒に『戦』う」する感覚になることがあります。白と青の柔道着採用や度重なるルール改正など、「五輪競技」としての柔道は、年々その様相を変えて、「日本の柔道」ではなく、「世界のJUDO」になったと実感します。五輪で最も印象に残った選手」は「赤松諒一選手(小枝さん)」「特定困難(内田さん)」「浅田真央さん(小野)」。赤松選手はパリ五輪において、走り高跳びで88年ぶりの快挙(5位入賞)と果たした新鋭。岐阜市出身、岐阜大学医学部大学院医学系研修生と、私たち岐阜県人にとっては、一番星そのものです。「地方から」「文武両道」の五輪選手が出たことで、奮起する後進もきっと出てくるでしょう。彼の偉業には心底賛辞を贈りたいです。浅田真央さんは、私にとって、格別の五輪選手でした。卓球の福原愛さんもそうでしたが、私にとって彼女は、選手であり、地元(東海地方 愛知県)のヒロインであり、年齢的には娘のような存在でもありました。幼少時からメディアの寵児だった彼女は、健気な笑顔を惜しみなく、私たちに振りまく一方、一度氷上に立つと、その表情が一変。フィギュアスケートにすべてを捧げた彼女の演技は、国内外で絶賛されていました。当時の女子選手としては、特筆すべき「トリプルアクセル」を武器に、栄光の架け橋を駆け上っていった彼女でしたが、バンクーバー五輪では、同年齢のキム・ヨナ(韓国)に敗れて銀メダル。そのリベンジを期して臨んだソチ五輪では、ショートプログラムでまさかの16位。演技後のインタビューで「何もわからないです」と放心状態で答えていた彼女を見たとき、私は「とにかく、彼女のフリープログラムを見届けよう」を決め、翌日は未明のテレビの前で正座していました。リンクへの通路を歩いてくる彼女の表情を見たとき、私は見たことのない彼女の凛々しい表情に武者震いがしました。静まり返った氷上で、呼吸を整えていた彼女は何を思っていたか。それはその後の“4分間の奇跡”があますところなく、教えてくれた気がします。8つのジャンプを見事にクリアした後、のびのびとステップを踏むたびに、彼女を後押しする会場の鳴りやまない拍手。彼女と会場、画面越しに私たちが一体となった感動の瞬間を共有し、私は言葉がありませんでした。フィニッシュ直後、込み上げるものが押され切れなかった彼女ですが、バンクーバー五輪の表彰台で泣いて終った自分を思い出し、何とか笑顔を作ったそうです。競技者としてだけではなく、一人の人間として、自分を俯瞰して、感情をコントロールする。一つの道を究めた人間はそういうものかもしれません。そんな彼女を見つめる恩師たる佐藤信夫コーチの表情も、共に試練の道を歩んだ人間の何ともいえない深みがありました。真央ちゃんのことだと、とめどなく記してしまいそうなので、最後に一言。私は「真央」に因み、待望の一人娘を「真歩」と名付けたほど、真央ちゃんファンです。現在はアイスショーでご活躍の彼女の「今後の人生に幸多かれ!」と祈念します。「五輪(選手)にかかわる名言」では、小枝さんが「身体のように精神を鍛えなければならない(You have to train your mind like your body.)」と第一声。不測の事態や万一の場合に対応するための精神力の大切さを力説。とりわけ、強靭な回復力(resilience)が栄光を左右するとされました。心身一如(mind-body unity)はいうまでもありませんが、内田さんは、パリ五輪の卓球の試合の手に汗握るデッドヒートで、その目まぐるしい試合展開を制する秘訣として、「技と体を極限まで鍛え上げた世界トップが競い合う舞台では、最後に勝敗を決するのは心(精神)」と痛感されたそうです。。スポーツにおける「心技体」は文字通り、「初めに心(精神)ありき」といえますね。「五輪を漢字で」は「努(小枝さん)」「特定中(内田さん)」「平(小野)」。「努(endeavor)」については、「努力することが才能である(Working hard is one skill or talent to accomplish their goals or dreams)」という箴言もいただき、「努力に勝る天才なし(Slow and steady wins the race)」を再認識しました。「平」については、いつものごとく、4つの二字熟語をもとに紹介させていただきました。まずは「平和(peace)」。別名「平和の祭典」といわれる五輪。武器を通じ、人々が憎み合い、傷つけ合う戦争ではなく、スポーツを通じ、人々が認め合い、高め合う五輪は「平和」の象徴にふさわしいと思います。そのための前提は「平等(equality)」。国や人種、年齢や性別、政治や宗教、障害の有無などにかかわらず、だれにでも門戸が開かれているのが五輪。さらに、参加選手にかかわっては、最も求められることは「平常(normality)」ではないでしょうか。「練習は本番のように」「本番は練習のように」。そんな「平常」をより高いレベルで実現することが、「実力」を出し切る要諦です。その先にこそ、「平常心(calm mind)」も生まれます。そして最後に「平然(stoicism)」。「何事にも動じない心」こそが、鍛え抜かれた技と体を最大限に生かし切り、五輪後に選手たちが人生を切り拓く原動力になっていくと私は思います。

 

 

 

8月11日活動予定 追加事項

8月11日の例会について、一つリクエストさせていただきます。スポーツに目がない私にとって、次回のトピック(Olympics)は興味が尽きません。思い入れのある大会、試合、選手などを話し出すと、とめどなくなってしまうかもしれません。そんな中、自宅にある「オリンピック関連映像」を見直してみたところ、メンバーのみなさんとぜひシェアしたい選手を1名発見。10分間の映像とともに紹介ができたらと考えました。90分間中の10分間は少なからず恐縮ですが、おそらくみなさんも熱い気持ちでこのシーンをご覧になっていたと思います。スポーツや五輪などを越えた「生き方」に通じる映像にご期待いただけたら、幸いに存じます。その関係上、「近況報告(What’s new ?)」を割愛。例会スタートと同時に「トピック(Olympics)」に入ります。イレギュラーな進行となりますが、その旨くれぐれもご了解ください。また、みなさんも映像や画像で紹介したい人物や内容などがございましたら、時間と相談しながら、適宜組み込んでいただいてもよろしいかと存じます。スポーツのごとく、躍動感あるチャットを楽しみましょう。

8月11日活動予定

【次回(8月11日)CEC活動予定】

TOPIC:Olympics(オリンピック)

1. What images are you in mind when you hear the word ‘Olympics’ ?

2. What is your most favorite Olympic sport ?

3. Who is your most impressive Olympic athlete ?

4. Show us an impressive quote from a notable Olympic athlete.

5. If you were to express the meaning of Olympics in kanji, what would it be ?

 開催すら危ぶまれた「東京五輪」から4年。当時とは一変した状況下で「パリ五輪」は開幕し、連日テレビの前で一喜一憂している視聴者は少なくないでしょう。「スポーツはすべて(国境、人種、宗教、地域など)を超える」と言っても過言ではない「平和の祭典」は、長年にわたる歴史の中で、多くの感動のドラマを生み出し、人々を熱狂させてきました。人類に横たわるあらゆる垣根を越え、老若男女、スポーツをする、しないにかかわらず、五輪が私たちの心を揺さぶるものは一体何か?次回は各自の思い入れのある大会、試合、選手などにふれながら、五輪の意義などに迫れたらと思います。メンバー間の「世代間格差(generation gap)」を踏まえた場合、紹介していただく大会、試合、選手については、恐れ入りますが、メジャーで、シェアしやすい(sharable)なことを心がけていただけたら幸いです。さらに、そこからインタラクティブな質問を提供していただけると、チャットが盛り上がりそうです。超人的なパフォーマンスを言葉にすることはなかなか難しいので、You Tube などで短い動画を紹介するのも一興。スポーツの醍醐味を、英語で味わい尽くしましょう。

 

【今後の活動予定】☞ 8月25日(日)

 

7月28日活動報告

【7月28日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)内田さん・小枝さん・藤堂さん・小野

<活動時間>10:00~11:35

<活動形態>Zoomミィーティング

 近況報告は、今回が二度目のご参加となる藤堂さんの、生後3か月のお子さんとの日常から。早朝3時頃には、決まって目を覚ますわが子の育児は時間との闘いで、ご自身の体力と相談しつつ、英語の勉強を続けてみえるご様子が目に浮かびました。そんな中、過日「ピアノジム」という玩具で遊ぶお子さんが、「爪先でキーボードを叩くと音がなる」機能に注目。それまではランダムに手足をばたつかせていたのに、その後、音を鳴らそうと意図的に足を動かす様子を見て、赤ちゃんの持つポテンシャルに驚かれたとのことでした。ちなみに、ピアノジムのキャッチコピーは「日本語と英語で楽しめるバイリンガル知育玩具」。それに違わぬ効果が期待できそうです。小枝さんはまず、3日後に迫った岐阜高島屋の閉店に言及。地域とともにあった柳ヶ瀬のシンボルが、また一つなくなることへの郷愁を話されました。私もこの件には関心があり、デパ地下の名物大判焼き(御座候)の「食べ納め」をしようと出かけたところ、待ち時間90分の行列の前にあえなくギブアップ。週末ばかりか、連日の盛況ぶりに、結局家族との思い出の味の「食べ納め」はかないませんでした。内田さんのアドバイスの通り、大阪に出かけた折は、大阪高島屋の御座候で“みやげ”を購入しようと思います。小枝さんはもう一つ、持病のタブレットが変わったことにもふれられ、自覚症状なしに忍び寄る生活習慣病のたいへんさを具体例とともに話されました。さらに、患者が食事制限の目的で使用すべきタブレットが、昨今はダイエットや食欲抑制などの目的で、医師の処方箋なしに、オンラインで広く販売されている実態を聞きました。思いがけないところで、オンラインの話題が出て、いつものようにその功罪を痛感しつつ、「予防に勝る治療なし(Prevention is better than cure.)」もまた実感しました。内田さんは、「日本語講師」としてのルーチンが軌道に乗り、落ちついて授業を進められ、今は「エクストラ(extra)」の工夫を試行錯誤されてみえるご様子でした。一定のレベルまではルーチンでクリアできるが、「その先」となると、「エクストラ」が必要ではないかとお考えでした。私自身が中学校現場で考えていた一つのエクストラは「宿題」。宿題の質と量、とくに、「質」は学習内容の定着を大きく左右すると考えていました。私が長年愛用したのは「マンダラート」「マインドマップ」。前者は大リーガー大谷翔平選手が「夢実現シート」として使用していたことで一躍脚光を浴びました。後者は学習教材だけではなく、教師間の自己啓発用ツールとしてもシェアを依頼。ミーティング内容を広げ深める際に活用しました。他教科でも学習教材として活用してくださる同僚もあり、その実践交流ができたことは双方にとって実に有益でした。両者は見た目が似ていますが、その活用法においても共通点が多く、そのメリットに気づくと、手放せないツールとなります。それを中学生向けのツールに落とし込み、計画的、継続的、発展的に指導すると、とかく槍玉に挙げられがちな宿題が「義務(have to do)」から「欲求(want to do)」にシフト。授業と宿題とがリンクし、それを教室でシェアすることで、室内の雰囲気はどんどん高まり、学習内容も確実に定着していきます。自身の指導の柱となる「エクストラ」の構築は、指導スキルはもちろん、指導への自信の拠り所になると私は思います。小休止をはさみ、「鈍感(insensitibity)のイメージ」を交流すると、小枝さんが「中学時代の同級生から聞かれた興味深いエピソード」を話されました。雨により、教室で行うことになった体育の授業で、先生が切り出された話の中に、他者と上手に折り合い、生きにくい社会を生き抜くためのスキルとして「鈍感力」があったとのこと。そのご友人は「おおらか(easygoing)」「ありのまま(just the way she is)」「自然流(natural way)」などの言葉が似合う方だったそうですが、この話に触発されたわけではないでしょうが、長じて、夫君を苛立たせるほどの鈍感力を見せることもあったとのことでした。藤堂さんはどちらかというと、「ネガティブ」なイメージをお持ちで、辞書などでその意味を確認された際、そのイメージを強くされたようでした。周囲の人やことにあまり気が回らない、自分本位の言動をイメージすると、ネガティブな面がクローズアップされがちですが、ネットなどで心ない非難や中傷が日常化した昨今では、自身の心の安定を図るためには、それが必要な場合もあるともお考えでした。内田さんは、基本的にネガティブだと思うものの、「鈍感」と一口に言っても、目に余るものがある一方、いわゆる「天然」といわれる「愛すべき(lovely)」ものもあり、周囲との関係性において、いかに自分をコントロールできるかによるとまとめられました。「鈍感のポジティブ面&ネガティブ面」として、小枝さんはご自身のこれまでのご経験から、若いうちはそのみずみずしい感受性を大切に、周囲の言動に敏感になり、そこから多くを学び、自己確立をすべきだが、年月を経て、「これが自分」という自分の核ができたら、周囲の言動に過敏になることなく、「自分にとって大切もの」を峻別する必要があると話されました。その上で、物事を客観的に判断し、そこに優先順序(priority)をつけ、より適切な言動へと高めていく根っ子にしばしば「鈍感力」があるとまとめられました。藤堂さんは「情報過多」で「有形無形のおびただしいプレシャー」の下にある時代にあり、心ないコメントやレスポンスを意図的にスルーできるスキルが求められていると話されました。内田さんもこのご意見に賛成されるとともに、多くの意見に柔軟に対応していく一方、無益な情報には「鈍感力」を働かせる大切さを改めて強調されました。「鈍感になった方がよい場面(よかった体験)」としては、小枝さんが結婚後、義母との関わりの中で、積極的に多くを学ぶ一方、立場(妻、母など)が変わっていくうちに、自然と「鈍感力」を身につけられた過程を話されました。長い結婚生活で、家庭はもちろん、地域や社会との関わりを通じ、自身の思いや考えが、信念や生き方になっていく過程で、日々の些細なことや取るに足らない他者の意見に左右されない鈍感力を少しずつ身につけられ、今現在「自分」「楽しむ」をにフォーカスした生き方をされてみえるご様子には、人生の先輩としての一つの理想を見る思いがしました。さらに、災害をはじめとする不測の事態に備え、「遠くの親戚より、近くの他人」と心得て、近隣の方々と適切な距離感を心がけてみえる小枝さん。「知識」を越えた、豊かな体験に裏打ちされた「知恵」がそこにもあふれていました。内田さんは職場において、多くの情報が行き交う中で、自分に必要な情報とそうでない情報を日々峻別するうちに、いわゆる「右から左に聞き流す」ためのスキルを少しずつ体得され、それが「鈍感力」ではなかったかと回想されました。私は「ルーキーイヤー(rookie year)」に周囲の同僚から「日教組加入」を強く進言された折、大いに「鈍感力」を働かせました。「教師として白紙」の自分が、いきなり組織の原理原則に染まることをよしとしなかったのです。「自分の目で観て、耳で聴き、心で感じ、体で学ぶ」。それが教師としての自分の真の学びだと考えていた私にとって、周囲の思いや考えは尊重しても、それに踏み込むという選択はあり得ませんでした。内田さんに「もし、日教組に加入していたら、小野さんは(組織にありがちな過剰適応により)鈍感になっていたかも」と指摘され、得心するとともに、後々の教師生活で「自分ファースト(自身の教育信条を最優先)」を貫くことができたのも、すべてはこの「初心」にあったと再認識しました。藤堂さんは、体調不良で、過日のCECをキャンセルされた例を挙げられ、周囲の人たちへの迷惑を気にしすぎることがあるが、仕方がない事情がある場合、そこは「鈍感」になって、先のことを見据えなければといわれました。彼女に限らず、若い世代にありがちなことですが、とりわけ、思慮深い(considerate)な方は、周囲に対して多くを想像しがちです。しかし、実際は「周囲は何とも…」としたもので、すべては杞憂にすぎないものです。また、その方のふだん(普段・不断)を見聞きしている周囲はそのままきちんと受容してくれるものです。すべては「平生往生」と考えた方がいいと私は思います。ちなみに、CECは「思慮深さ」においても最高のメンバーのみなさんにご参加いただき、私としては、「鈍感力」を発揮せずとも、自然体でサークルを運営できるので、いつも深く感謝しております。「鈍感にかかわる名言」では、小枝さんから「人々の取るに足らないことへの感受性と最も大切なことへの無感覚は、奇妙な障害の兆候です(Man's sensitivity to little things and insensitivity to the greatest things are marks of a strange disorder.)」が出され、日常的に、事の軽重を深く考えず、目先の些末なことにとらわれがちな人間の愚かさを実感しました。藤堂さんは「目先のことに鈍感になれ(Be less sensitive to the effect of things. Focus on things just before your eyes.)」。小泉純一郎氏が、時の安倍晋三首相に送ったアドバイスを紹介されました。この名言はノートに書き留められ、ご自身の指針にもしてみえるそうです。内田さんは「木を見て、森を見ず(can’t see the wood for the trees)」にならないような生き方の根幹に「鈍感力」があるのではないかという独自の見解を話されました。それは「木(部分)にとらわれて、森(全体)を見ることを怠る」ことで、「木(≒些末)に汲々としていては、森(≒本質)に出会うことはない」という戒めだと私は思いました。私は今日までの人生経験、とりわけ、教職にあり、「鈍感とは自分のゴールとスタイルへの集中」という人生哲学を得ました。昔から「教育に答えなし」といわれますが、何事も多様化が叫ばれる今、その傾向に拍車がかかっています。しかし、「答えがない」から「すべてが答え」「何でもあり」では、教育界は混乱をきたすばかり。そんな中、百花繚乱の教育論、教育法、教育談義に反応していては、自分の目指す教師としてのゴールはもちろん、教師としてのスタイルも定まりません。そうならないために、自分にゴールやスタイルを見定め、雑事には思い切って鈍感になる覚悟が必要だと私は常々思っていました。「ほっといてくれ男(Mr.MYOB(Mind Your Own Business))」と揶揄されたこともありましたが、自分のゴールとスタイルに邁進できたことが、納得できる成果の源だったと言っても過言ではありません。「鈍感を漢字で」では、「知恵(小枝さん)」「技(藤堂さん)」「操(内田さん)」がそれぞれ出ました。人生の局面で、環境が変化するたびに、少しずつ自己を確立しつつ、周囲を俯瞰する知恵を得られた小枝さん。生活上はもちろん、インターネット上の諸々を通じ、その対応策(countermeasures)を技として模索してみえる藤堂さん。相反する二つの感性「感受性(sensitivity)」と「鈍感力(insensitivity)」とのバランスを取りながら、自分を操る必要性を強調される内田さん。そのすべてが、日々の自分自身の内面的な対話のくり返しにより、周囲との適切な距離感を作っていく大切さを教えてくれています。一方、私の考えた漢字は「均」。さらに、「鈍感力を高めるための3つのステップ」として、「均衡(balance)→均質(homogeneous)→均整(proportioned)」を考えました。「均衡」とは「周囲から思いも寄らない言動を被ることがあっても、回復力(resilience)を発揮して、心身のバランスを保つ」。「均質」とは「自分のゴールやスタイルを尊重しつつも、それを支える周囲の声や、異なる考え方でも、自分を見つめ直すきっかけとなる言動には寛容に向き合い、全人的な発達を目指す」。「均整」とは「均質からさらに踏み込み、自分にとって、最も美しいゴールやスタイルを整える」。この3つが好ましく循環できてこそ、独り善がりではない「鈍感力」が身につくのだと私は思います。予想に違わぬ楽しいチャット後のフィードバックでは、小枝さんが藤堂さんの感受性、思慮深さを「心臓に毛が生えていないナィーブさ」と形容され、そんな感覚と縁遠くなって久しい、現在の自然体の生き方と鈍感力を重ね合わせてみえました。