【6月21日(日)CEC活動報告】
<参 加 者>4名(男性1名・女性3名)齊藤さん、小枝さん、水沼さん、小野 <活動時間>10:00~11:30 <活動形態>Zoomミーティング
今回の例会は、過日のMeetupでご縁をいただいた水沼さんをお迎えし、4名で開催しました。
まずは一人ずつ自己紹介を行い、それぞれが現在どのように英語を学び、英語と関わっているのかを紹介し合いました。初参加とは思えないほど和やかな雰囲気となり、自然な流れで今回のトピックへ入ることができました。
今回のテーマは、「Respect(尊重)」です。
「尊重」と聞いて最初に思い浮かぶことについて話し合ったところ、齊藤さんは「敬語(honorifics)」を挙げられました。
日本語の敬語には、「長幼の序(respect for seniority)」という日本独特の文化的背景があり、「尊敬する(look up to, esteem)」や「賞賛する(admire)」など、さまざまな意味合いが含まれています。そのため、「Respect」という言葉は、日本人にとって単なる礼儀以上の深い価値観を表すものではないかという意見が出されました。
一方で、近年は「リスペクト」というカタカナ英語が日常的に使われるようになり、本来の「尊敬」や「尊重」が持っていた重みや奥行きが、以前よりも少し軽く受け止められるようになっているのではないかという話題にも発展しました。
そこで、中学校に勤務されている水沼さんに、現在の学校の様子をお尋ねしました。
すると、「最近の子どもたちは、まずフレンドリーな関係からスタートし、学校生活を重ねる中で、お互いへのリスペクトを育みながら、人間関係そのものも深めていくように感じます」と話してくださいました。
そのお話を伺いながら、私は四十年前の自分を思い出しました。
昭和61年春、新任教師として赴任した私は、大学空手道部で培われた典型的なヒエラルキー意識を強く持っていました。そのため、赴任先である恵那の山あいの中学校で出会った、純朴で人懐っこい生徒たちのあまりにもフレンドリーな接し方に、「なれなれしい」「もっとリスペクトが必要ではないか」と少なからず戸惑い、憤りさえ覚えていました。
しかし、今回の対話を通して、尊重の表し方は時代とともに変化していること、そして、形式よりも互いを理解し合う過程の中で育まれるリスペクトもあることを、改めて考えさせられました。
「昭和ははるか遠くなりにけり」。
そんな言葉が自然と胸に浮かび、自分自身の価値観の変化も含め、時代の流れをしみじみと感じました。
続いて、小枝さんは、「理解(recognition)と受容(acceptance)」という二つのキーワードを挙げられました。
尊重とは、「まず相手の人格や価値観、信念を理解しようと努め、それを受け入れる姿勢から始まるものではないかと」いう考えです。そして、自分が尊重できる人とは積極的に交流し、その人から学ぶ姿勢を大切にしたいことはもちろん、自分とは異なる人格や価値観を持つ人に対しても、尊重する気持ちを忘れず、そこから何かを学べる自分でありたいとまとめられました。
一方で、人間関係は理想通りにはいかない現実も率直に語ってくださいました。
所属するサークルの中には、「なかなかリスペクトできない」「どうしてもしっくりこない」と感じる方もいるそうです。その背景には、自信に満ちた話し方が、時として周囲には傲慢に映ってしまうことや、場の空気を十分に汲み取らない言動が積み重なり、少しずつ心理的な距離が生まれてしまったことがあると話されました。
たとえば、例会後に喫茶店でメンバー同士が気軽に雑談を楽しんでいる中、会話の流れを遮って自身の話題へ移ったり、「英語は自分の方が得意だから、みなさんは生徒になったつもりで聞いてください」という趣旨の発言があったりしたことで、本人を否定するつもりはなくても、自然と一定の距離を置くようになったとのことでした。
しかし、その印象が変わる出来事がありました。
サークルでアメリカからのお客様を迎えるパーティーを開いた際、その方が日本の歌を披露したり、篠笛を演奏したりしながら、心を込めて日本文化を紹介し、参加者をもてなそうと努力する姿にふれたそうです。
その真摯な姿勢を目の当たりにして、「この人にも、こんなすばらしい一面があったのだ」と感じるようになり、相手への見方が少しずつ変わっていったことを率直に語ってくださいました。そして、それ以来、その人のよさを意識して見つけようとするようになったそうです。
このお話を伺いながら、私は、人への評価は一つの出来事や第一印象だけで決まるものではなく、新たな一面を知ることで大きく変わることを改めて実感しました。
「Respect」と「Suspect」は、わずか数文字しか違わない単語ですが、人を見る心もまた、ほんの小さなきっかけで大きく変化します。人を尊重することと、人を疑い距離を置くことは、まさに a fine line(紙一重) であり、ときには two sides of the same coin(表裏一体) なのかもしれません。
だからこそ、相手を決めつける前に、その人の新たな一面に目を向けようとする姿勢こそが、真のリスペクトにつながるのではないかと感じた、大変示唆に富む対話となりました。
続いて、水沼さんは、「興味深い(interesting)」という言葉を挙げられました。
ご自身は、日頃から互いを尊重し合える人間関係を何より大切にされており、その中でも特に意識されているのが、「ラベリング(labeling)」をしないことだそうです。ラベリングとは、人や物事に対して、自分の思い込みや先入観によって勝手な評価や枠組みを与えてしまうことです。そのような先入観は、差別や偏見を生み、本来見るべき相手の姿を見失わせてしまいます。
だからこそ、できるだけ真っ新な気持ち(pure heart)で相手と向き合い、その人をありのままに見つめ、理解しようと努めることが、真のリスペクトにつながるのではないかと話してくださいました。
続いて、私は「自分らしさ(Authenticity)」という視点から、このトピックについて考えました。
学生時代、私は体育会系の中でもとりわけ上下関係の厳しいことで知られた空手道部に所属していました。そこには明確なヒエラルキー(hierarchy)が存在し、「リスペクト」といえば、ほぼ例外なく、後輩から先輩へ向けられる一方向の「尊敬」を意味していました。
その価値観をそのまま持ったまま教師になった私は、赴任先で出会った人懐っこい田舎の生徒たちに戸惑いました。あまりにも素直で親しみやすい彼らの姿を見て、「なれなれしい」「リスペクトが足りないのではないか」と感じていたことを、今でも鮮明に覚えています。
しかし、「職業は人をつくる」と言われるように、あるいは「集団は人をつくる」と言った方がよいのかもしれません。
教師として生徒たちと向き合う年月を重ねる中で、一人ひとりが自分らしさを大切にしながら懸命に成長していく姿に数多く出会いました。その姿にふれるたび、私の中のリスペクトは、年齢や立場とは無関係に、「自分らしく生きようと努力する人」すべてに向けられるものへと変わっていきました。
そして、空手道部時代に当たり前だと思っていたヒエラルキー意識は、いつしか少しずつ消えていったのです。そして現在、私が深いリスペクトを寄せている一人が、ピアニストの小雨さんです。
幼少期からの厳しい家庭環境やさまざまな逆境に負けることなく、自らの力で人生を切り拓き、ピアノという表現の世界にすべてを懸けながら歩み続ける姿には、心からリスペクトを抱いています。
また、前回の例会では、「Authenticity(自分らしさ)」についても対話を深めました。
そこで確認できたのは、自分らしさとは、「自分だけが自由に振る舞えること」ではなく、「自分も他者も、それぞれ違っていてよい」と認め合える関係の中で、お互いが安心して自分自身を表現できることだということでした。
さらに、自分らしさを発揮するためには、「自分を信じる力」だけでは十分ではなく、「自分を信じてくれる存在」があることも同じくらい大切であるという気づきも共有しました。
人は、一人だけでは自分を肯定し続けることは容易ではありません。
失敗したとき、思うようにいかないとき、自信を失ったとき、あるいは孤独を感じたとき、「あなたらしくていい」「あなたはそのままでいい」「私はあなたを信じている」と言ってくれる存在は、人生を支える大きな力になります。それは教育現場に限らず、家庭でも、友情でも、職場でも、人が人として生きていくあらゆる場面に共通する普遍的な真理ではないでしょうか。
そして、そのような安心して自分らしく生きられる関係を育む土壌にあるのが「信頼(Trust)」であり、その信頼を支える最も根源的な土台こそ、「尊重(Respect)」なのだと、今回の対話を通して、改めて実感することができました。
ここまでの対話を通して、私の中では一つの流れが明確になりました。
Respect(尊重)があるから、人は安心して話すことができる。安心して話せるから、Trust(信頼)が育まれる。そして、Trustが育つからこそ、人はAuthenticity(自分らしさ)を安心して表現することができる。
私は、この循環こそが、「人が人として成長していくプロセス」そのものではないかと感じています。
とりわけ、教育現場においては、「尊重(Respect)=相手の存在そのものを認めること」が、生徒理解の原点であり、最も大切な姿勢だと思います。
実際、教師生活を振り返ると、生徒たちが「あのとき先生に尊重されたと感じたから、心を開くことができた」と話してくれた場面が数多くありました。その一方で、「尊重されていないと感じたことで、心を閉ざしてしまった」と思われる場面も決して少なくありませんでした。
こうした経験を重ねる中で、私は、「信頼(Trust)」や「尊敬(Esteem)」といった、より高次の人間関係や意識の出発点には、必ず「尊重(Respect)」があるのだと考えるようになりました。
続いて、「心からの尊重を感じさせた言行」というテーマについて意見を交わしました。
齊藤さんは、「より才能のある人(more talented person)」を挙げられました。
現在応援されているポップシンガーへの「推し活」を紹介される一方で、ご家族や友人との温かな関係にもふれられ、日々の誠実な関わりや相互信頼の中にこそ、本当の意味での「尊重」が息づいているのではないかと話されました。
この「推し活」の話題では、参加者それぞれの経験も紹介し合いました。
仕事と子育てで多忙な毎日を送られている水沼さんは、「今はなかなか時間が取れませんが、学生時代には大好きなバンドのコンサートによく足を運んでいました」と懐かしそうに話してくださいました。
また、小枝さんは、娘さんがときおり、推しのコンサートへ出かけ、その間、ご自身がお孫さんのお世話をされていることを紹介。そして、義母との同居生活で、自分には「推し活」を楽しむ余裕などなかった若い頃を振り返りながら、仕事も子育てもプライベートも充実させている娘さんを、どこか羨ましく見つめておられる様子が印象的でした。
私自身は、前述のとおり、現在はピアニスト・小雨さんに夢中です(I'm head over heels in love with Kosame.)。YouTubeのおかげで、その演奏や表現に日々ふれられることのありがたさを、これほど実感したことはありません。
もともとは、洋画鑑賞を楽しむために還暦祝い(Happy 60th Birthday)として購入した75インチテレビで小雨さんの演奏を堪能していましたが、最近では、「もっと臨場感を味わうなら85インチがいいのではないか」と本気で考えるようになり、家族から「さすがに、それは…」と、やんわり制止されているところです。
このような和やかな話題で会場が大いに盛り上がった後、小枝さんは、「謙遜(modesty / humility)」についてお話してくださいました。
優れた能力や豊かな知識を持つ人を自然に尊重できることはもちろん大切ですが、その人自身が、それを決して鼻にかける(boast)ことなく、常に周囲への謙虚さを忘れない姿にふれたとき、初めて心から尊敬の念を抱くことができるのではないかと語られました。
そして、ご自身も日頃から、周囲の人が少しでも心豊かになれるような言葉や行動を心がけ、それを穏やかな気持ちで振り返りながら、ささやかな満足感(small sense of satisfaction)を味わう一方で、決して驕ることなく、常に謙虚な姿勢を忘れないよう努めておられるそうです。
最後に、その生き方を象徴する言葉として、「実るほど首を垂れる稲穂かな(The boughs that bear most hang lowest. / The more noble, the more humble.)」ということわざを紹介してくださいました。この一言には、今回のトピックである「Respect」の本質が凝縮されているように感じられ、大変印象深い締めくくりとなりました。
続いて、水沼さんは、「傾聴(active listening)」という言葉を挙げられました。
相手が誰であっても、広く開かれた心で、その人の言葉に公平に耳を傾け、その思いや意図を受け止めながら尊重していくことが何よりも大切ではないか、と話してくださいました。
仕事や家庭など、公私ともに忙しい毎日を送る中でも、その忙しさを理由にせず、相手の話に丁寧に耳を傾ける姿勢を大切にされているそうです。
その一方で、相手の話を十分に聴こうとせず、自らの立場やルールを盾にして相手を従わせたり、叱責することをためらわなかったりするような人に対しては、尊重の気持ちを抱くことは難しいとも率直に語られました。そして、その点については、小枝さんが先ほど話された内容にも深く共感すると述べられました。
私自身も、「傾聴(active listening)」は、教師人生の原点とも言える大切な言葉です。
新任教師として赴任したのは、恵那郡山岡町でした。山あいの穏やかな自然に囲まれた地域には、田舎ならではの温かさがある一方で、どこか閉鎖的とも感じられる空気もありました。
当時、その地域の多くの先生方は日教組の活動を通して強い結び付きを築いておられました。そんな中、私は岐阜市から「遠計配(遠距離計画配置)」で赴任してきたばかりの新任教師でした。土地勘もなく、経験も乏しく、授業も学級経営も未熟でした。今振り返れば、「一人前の教師」として見てもらうには、まだまだ力不足だったと思います。
そのような私を、温かく支えてくださったのが、教務主任のI先生でした。
I先生は、公私にわたって本当に親身に接してくださいましたが、中でも今も忘れられないのが、その「傾聴(active listening)」の姿勢です。私の拙い話を決して途中で遮ることなく、時間をかけて最後まで耳を傾けてくださる。そして、話がまとまらないときには、
「つまり、こういうことかな」 「先生は、こんなふうに感じているのかな」
など、私の思いを一つひとつ丁寧に整理しながら、言葉にならない気持ちまで引き出してくださいました。
そのような対話を重ねるうちに、私は少しずつ、自分が「何をすべきか」「どんな教師になりたいのか」を、自分自身の言葉で語れるようになっていきました。
「こうしてみます」 「今度は、こんなことにも挑戦してみたいです」
そんな前向きな言葉が自然と口をついて出るようになったのです。そして、話が終わるたびに、I先生はいつも穏やかな笑顔で、こう声をかけてくださいました。
「あんじゃないて(大丈夫)」
その何気ない一言には、不思議な力がありました。
私は、その言葉を聞くたびに、「まだ半人前の教師」である自分を、I先生が一人の教師として認め、尊重し、信じてくださっていることを実感していました。その思いは、私の結婚式でも変わることはありませんでした。祝辞をお願いしたI先生は、最後にいつもの笑顔で、こう結んでくださいました。
「先生、これからいろんなことがあるよ。でも、あんじゃないて。先生だから」
その瞬間、私は一気に新任時代へと引き戻されました。
年月が流れても変わることのないI先生の温かなまなざしと、私への深い尊重が胸いっぱいに込み上げ、思わず熱いものがこみ上げてきました。
「あんじゃないて」
この言葉には、単なる「大丈夫」という励ましだけではありません。
「私はあなたを信じています」
そんな無言のメッセージが込められていたのだと思います。
だからこそ、私は今もなお、駆け出しの教師だった私を支えてくださったI先生の「あんじゃないて」の精神を、自分自身の教師人生の原点として、何よりも大切にし続けています。
ここまでの対話を通して、改めて実感したことがあります。
相手の話に真摯に耳を傾けることは、単に「聴く技術」ではありません。
それは、「あなたという存在を大切に思っています」という、最も深い形の Respect(尊重) の表現であり、その積み重ねが Trust(信頼) を育み、人が安心して Authenticity(自分らしさ) を発揮できる土壌を築いていくのだということを、改めて確かめ合うことのできた、心温まる対話となりました。
次は、「ありのままの自分になるために、尊重にはどのような意味があるのか」でした。
まず、齊藤さんは、「自尊心(self-esteem)」というキーワードを挙げられました。
文化(culture)や慣習(custom)、さらには国家間に存在するさまざまな違いを互いに尊重し、攻撃的な言動を慎む(refrain from aggressive behavior)ことによって、一人ひとりの中に健全な自尊心が育まれていく。そして、自分の自尊心を大切にできる人は、自然と相手の自尊心も尊重できるようになるのではないか、と話されました。
また、「職業差別(discrimination of occupations)」のような偏見や先入観は、日々誠実に仕事へ向き合っている人々の自尊心を深く傷つけてしまうことにもふれられ、互いの立場や役割を尊重することの大切さを改めて考えさせられました。
続いて、小枝さんは、以前紹介してくださった「JAL、サブチャンネルを始めました。」の投稿を再び取り上げられました。
その中の一つの内容をもとに、「何事においても、客観的に分析し、評価する(analyze and evaluate objectively)」ことの重要性について話してくださいました。
感情や周囲の情報に流されて判断するのではなく、できる限り客観性を保ちながら、自分自身の強みや弱みも冷静に見つめることができてこそ、自分も他者も公平に尊重できるようになるのではないか、とまとめられました。
この考えに対し、水沼さんも深く共感されました。
その上で、相互尊重を育むためには、 ① まず、自分の考えを率直に表明すること。 ② 次に、相手や周囲の意見にしっかり耳を傾けること。 ③ そして、考えるべき課題や論点を整理・焦点化すること。
という三つの段階を大切にしていると紹介してくださいました。
さらに、「客観性」という視点から見ると、昨今ではChatGPTをはじめとするAIとの向き合い方についても考えざるを得ず、とりわけ教育現場におけるAIの活用には慎重な検討が必要ではないかという問題提起もされました。
便利さは私たちに多くの恩恵をもたらします。しかし、その一方で失われるものはないのか――。AIに限らず、「便利さの功罪(The Pros and Cons of Convenience)」について、改めて考えさせられる対話となりました。
また、学級経営における相互尊重についても話題が広がりました。
水沼さんは、「信頼に基づく関係性」を土台としながら、休み時間には誰もが安心して、のびのびと過ごせる学級づくりを目指していることを話してくださいました。
そのためには、教師自身が一人ひとりの生徒を尊重し、自らの姿勢と言葉を通して、「尊重とは何か」「なぜ大切なのか」を日々発信し続ける存在であることが大切だと語られました。
私は、このお考えに全面的に共感しました。
教育の世界には、「子を見れば親がわかる」という言葉があります。それになぞらえれば、「生徒を見れば担任教師がわかる」とも言えるでしょう。さらに、「知らぬは親(担任教師)なり」という言葉にも通じるように、子どもの姿は、教師自身のあり方を映し出す鏡でもあります。
だからこそ、教師がどのような姿勢で子どもたちと向き合うかは、学級全体の空気や文化を大きく左右するのだと、改めて実感しました。
私自身、「尊重(Respect)」とは、「その人の中にある、まだ形になっていない可能性を信じること」だと考えています。
新任教師だった頃の私は、経験も浅く、自分の授業や学級経営にも確信を持てませんでした。周囲には経験豊かな先生方が多く、自分だけが取り残されているような不安を抱えることも少なくありませんでした。
しかし、教務主任だったI先生は、一度たりとも私を「未熟な新人教師」として扱われませんでした。むしろ、「この人には、これから大きく伸びていく力がある」という前提で、いつも接してくださっていたように思います。
とりわけ印象に残っているのは、I先生が決してすぐに答えを与えなかったことです。私が相談をすると、「こうしなさい」と結論を示すのではなく、まず私自身にじっくりと話をさせてくださいました。
そして、
「先生は、本当はどうしたいの?」 「何を一番大切にしたいと思っているの?」
そう問いかけながら、私の内側にある思いや願いを、時間をかけて丁寧に引き出してくださいました。
今振り返れば、それは単なる指導ではありませんでした。
「あなた自身の考えを大切にしてよい」
そんな無言のメッセージに満ちた、「尊重」の実践だったのだと思います。
人は、否定されたり、答えだけを押し付けられたりすると、自ら考えることをやめてしまいます。しかし、自分の思いや考えを丁寧に受け止めてもらえると、「自分の感じ方や考え方にも価値がある」と信じられるようになります。
私は、I先生との対話を重ねる中で、「教師とはこうあるべきだ」という他者の価値観を追い求めるのではなく、「自分はどんな教師になりたいのか」を問い続けられるようになりました。つまり、「尊重」されたからこそ、私は「他人の期待に応える教師」ではなく、「自分自身の教育観を育みながら歩む教師」へと成長することができたのだと思います。
だからこそ、私は今も、「尊重」とは、人が本来の自分へと成長していくための最初の道しるべであり、「完成した人」を認めることではなく、「まだ揺れ動いている人」の可能性を信じ続けることなのだと考えています。
ここでは、「Respect」という一つの言葉を通して、教育、人間関係、そして自分らしく生きることの本質について、多面的に語り合うことができました。
互いを尊重することから信頼が生まれ、信頼が安心感を育み、その安心感が、一人ひとりの「ありのままの自分」を支えていく――。そんな「Respect」の奥深さを、参加者全員で改めて確かめ合うことができました。
さらに、「尊重につながる名言」を紹介し合いながら、トピックを深めていきました。
まず、齊藤さんが紹介されたのは、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein) の言葉です。
“I respect everyone. It doesn’t matter whether they are a garbage collector or a university president.”(私はすべての人を尊重する。相手がゴミ収集員であろうと、大学の学長であろうと関係ない。)
さらにアインシュタインは、
“Everyone should be respected as an individual, but no one should be idolized.”(すべての人は一人の人間として尊重されるべきだが、誰も崇拝されるべきではない。)という言葉も残しています。
肩書や立場ではなく、一人の人間として相手を見る姿勢。その人間観そのものが、多くの人々から尊敬を集め続けている理由なのだと、改めて感じました。
また、私は、日本にもこれと通じる名言があることを紹介しました。
「吾以外皆我師(We can learn everything from others.)」
作家・吉川英治が『宮本武蔵』の中で主人公に語らせたこの言葉も、「誰からも学ぶ」という謙虚な姿勢を表しており、「Respect」や「Active Listening(傾聴)」の本質を示す言葉の一つではないかと思います。
続いて、小枝さんは、ブライアント・H・マクギル(Bryant H. McGill) の言葉を紹介してくださいました。
”One of the most sincere forms of respect is actually listening to what another has to say.”(相手に尊重を示す最も誠実な方法の一つは、その人の話に心から耳を傾けることである。)」
今回の例会でくり返し話題となった「傾聴(Active Listening)」の大切さを、まさに象徴する言葉でした。
相手の話を最後まで丁寧に聴くこと。
それは、年齢や国籍、文化や価値観の違いを超えて、相互理解と相互尊重への第一歩となる、普遍的な真理なのだと改めて感じました。
続いて、水沼さんは、孔子(Confucius) の言葉を紹介されました。
“Respect yourself, and then others will respect you.”(自分自身を尊重すれば、他人もあなたを尊重してくれる。)
忙しい毎日に追われていると、自分が本当に考えていることや、心から望んでいることを見失い、周囲の意見や流れに合わせることばかりを優先してしまうことがあります。
しかし、そのように自分自身を尊重することを忘れてしまったままで、本当の意味で他者を尊重することができるのだろうか――。
水沼さんは、その問いを折に触れて自らに投げかけながら、自分自身を深く見つめ直し(dig into herself deeply)、内なる声に耳を傾けることを大切にされているそうです。
そして、その学びを、Toastmasters でのスピーチや、早朝の自主的な英語学習へとつなげながら、「自分を尊重するとはどういうことか」を探究し続けておられるとのことでした。
現在は幼いお子さんの子育てにも全力で取り組まれている中、そのエネルギーと向上心には、ただただ頭が下がる思いでした。
最後に、私は、ブルース・リー(Bruce Lee) の言葉を紹介しました。
“Knowledge will give you power, but character earns respect.”(知識は力を与える。しかし、人柄は尊敬をもたらす。)
この言葉を聞くたび、私の脳裏には、真っ先に教務主任だったI先生の姿が浮かびます。
新任教師だった私は、知識も経験も十分ではなく、「早く一人前にならなければ」という焦りばかりを抱えていました。
教師には、確かに知識や技術が必要です。
授業力、生徒指導力、教材研究――それらは教師としての「力(Power)」になるでしょう。しかし、I先生が私に与えてくださったものは、それ以上に大きなものでした。
先生は、未熟な私の話を決して否定せず、急かすこともなく、最後まで丁寧に耳を傾けてくださいました。そして、いつも穏やかな笑顔で、「あんじゃないて(大丈夫)」と声をかけ続けてくださいました。
今振り返ると、私はI先生のKnowledge(知識)に支えられた以上に、そのCharacter(人柄)に救われていたのだと思います。先生は、当時の私を「まだ未熟な教師」としてではなく、「これから成長していく教師」として見守ってくださいました。つまり、私の「現在」だけではなく、「可能性」、そして「未来」を尊重してくださっていたのです。
だからこそ、私は安心して自分の思いを語り、失敗を重ねながらも、自分らしい教師像を探し続けることができました。
知識や能力は、人を動かす力になります。
しかし、本当に人の心を開き、「この人のようになりたい」と思わせるのは、その人のあり方なのではないでしょうか。
そして、そのあり方の根底にあるものこそ、一人の人間として相手を認め、信じ、その可能性を見つめ続ける「Respect(尊重)」なのだと、今回の例会を通して改めて実感しました。
ここまで対話では、一つのトピックから実に多くの学びが生まれました。参加者一人ひとりの経験や価値観に耳を傾ける中で、私自身も「尊重」とは何かを改めて問い直すことができました。
RespectからTrustへ。TrustからAuthenticityへ。
この温かな循環を大切にしながら、これからもCECが、互いの可能性を認め合い、安心して語り合える学びの場であり続けることを願っています。
最後に、「尊重を漢字一文字で表すとしたら何か」について意見を交わしました。
まず、齊藤さんは、「認(recognition)」という一文字を選ばれました。
表面的なやり取りだけでは、本当の意味で相手を「認める」ことはできず、ましてや「尊重」することはできません。だからこそ、相手を知ろうとする姿勢を持ち、自ら心を開いて相手を受け入れていくことが大切であると話されました。
続いて、小枝さんは、「共鳴(resonance)」という言葉を挙げられました。
相互尊重の土台には、互いを理解し合い、共通の認識や行動を積み重ねていく過程があります。そして、その積み重ねの先にこそ、本当の意味での「共鳴」が生まれるのではないかという考えです。
また、共鳴できる関係を築くためには、まず相手との違いに気づき、その違いを理解し、受け入れることが欠かせないとも話されました。
水沼さんは、「白(white)」という漢字を選ばれました。
新しい出会いでは、決して色眼鏡で相手を見ることなく(look at someone without colored lenses)、真っ白な心で相手と向き合うことを大切にしているそうです。
さらに、日頃から周囲の人々の言葉や行動を注意深く見つめ、その背景にある思いや価値観まで読み取ろうとする深い洞察力(exercise deep insight)を意識していることも紹介してくださいました。
この考えを受け、齊藤さんからは、「今の時代は、身近な人の意見だけでなく、SNSやメディアから流れてくる玉石混交(the good and the bad)の情報にも、私たちは知らず知らずのうちに影響を受けています。だからこそ、自分自身の考えや価値観を持ち、より客観的で公平な視点から人や物事を見ることが大切だと思います」という意見が出されました。
また、小枝さんからは、「真っ白な気持ちで相手と向き合うという考えには全面的に共感します。相手との違いがあっても、その違いをゆったりと受け止め、耳を傾け(have room in our mind)、やがて共鳴できるような関係を築いていきたいです」という温かな思いが語られました。
私は、「聴(listening)」という漢字を選びました。
「聴」という字には、「耳」「目」「心」、そして「十(十分に)」という四つの要素が含まれています。私は、この漢字の成り立ちそのものに、「Respect(尊重)」の本質が表れているように感じています。
本当に「聴く」とは、単に耳で言葉を聞くことではありません。
耳で声を受け止め、目で相手の表情を見つめ、心でその奥にある思いを感じ取りながら、十分に相手と向き合うこと。それこそが、「傾聴(Active Listening)」であり、教育はもちろん、あらゆる人間関係の礎になる姿勢ではないでしょうか。
一方で、私たちは日々の生活の中で、意外なほど「自分自身の心の声」を聴けなくなっているようにも感じます。
周囲から寄せられる期待。 「こうあるべき」という社会の空気。 メディアやSNSから流れ込む膨大な情報。
そうした外側の声に囲まれているうちに、本来の自分の思いや願いが、少しずつ見えなくなってしまうことがあります。
だからこそ、自分でも気づかなくなっていた「本当の声」に静かに耳を傾けてくれる存在は、人生において何よりも貴重なのだと思います。そのような人がいてくれるからこそ、人は立ち止まり、自分自身を見つめ直し、「自分は本当はどのように生きたいのか」を改めて問い直すことができます。
そして、そのように耳を傾けてくれる人こそ、私たちを深く尊重し、寄り添い、ともに歩もうとしてくれる存在なのではないでしょうか。私にとって、そのような存在が教務主任だったI先生でした。
I先生は、まだ未熟だった私の、言葉にならない思いを決して急かすことなく、否定することもなく、時間をかけて丁寧に聴き取ってくださいました。その対話を積み重ねる中で、私は少しずつ自分自身の考えや願いを見つけ、「自分らしい教師」として歩み始めることができたのだと思います。
定年退職を翌春に控えたI先生と、教師人生をスタートしたばかりの私。
その一年間は、「教師と教師」という枠だけでは語り尽くせない、むしろ「教師と生徒」を超えるような深い師弟関係だったように思います。
大学空手道部で培われた固定観念に縛られていた当時の私は、I先生にとって、どのような存在だったのでしょうか。また、もし自分がI先生の立場だったなら、あの頃の自分のような若い教師に対して、同じように関わることができただろうか――。
そう考えるたび、どこまでも私を信じ、尊重し続けてくださったI先生への感謝の思いは、今も言葉では言い表せません。
だからこそ、私にとって「尊重」を表す漢字は、そして「尊重」を育む土台となる漢字は、「聴」以外には考えられないのです。
この話を受け、小枝さんからは、
「YouTubeで時々、漢字を特集した番組を見ますが、日本の漢字の奥深さを改めて感じました。今回、『聴』という漢字の意味を知ることができ、とても勉強になりました」という感想をいただきました。
また、水沼さんからも、
「『聴』という漢字が四つの要素から成り立ち、それぞれに意味が込められていることは初めて知りました。漢字の成り立ちと『傾聴』との関係に、とても驚きました」という感想をいただきました。
最後に、例会全体についてフィードバックを行いました。
齊藤さんからは、「今回も楽しく参加できました。初参加の水沼さんにも加わっていただき、大変刺激になりました」という感想をいただきました。
小枝さんからは、「今回も本当に楽しかったです。水沼さんの英語学習の歩みや現在の学習方法についてもっと伺いたいです。海外留学の経験などもあるのでしょうか」という質問が寄せられました。
これに対し、水沼さんは、
「早朝の英語学習は、Toastmastersのスピーチ準備に充てることもあります。海外留学については、『いつか行きたい』と思いながら、今日まで来てしまいました。今回初めて参加して、皆さんが自然に英単語を口にされる様子に、とても刺激を受けました」と話してくださいました。
最後に私から、CECの運営について紹介しました。
CECでは、毎回の例会のおよそ一週間から五日前に、公式ブログ『Chatty English Circle』とメンバー用グループLINEでトピックを発表しています。
前回の対話を踏まえながら、今回へ、そして次回へと学びがつながっていくよう、一つひとつのテーマを選定しています。例会を「点」で終わらせるのではなく、「線」として結び、その線を対話によってさらに太く、豊かなものへ育てていくこと。それが、私たちCECの目ざす学びの形です。
次回以降は、新しいメンバーの参加も予定されています。
新たな出会いが、新たな学びを生み、さらに豊かな対話へとつながっていくことを、今から大変楽しみにしています。