Chatty English Circle

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4月21日活動報告

【4月21日(日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)内田さん・小枝さん・酒井・小野

<活動時間>10:00~11:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 葉桜を見ると、新年度の慌ただしさが一段落。私は毎春、そんな思いがします。近況報告では、大学院での新生活が一段落された酒井さんが、学生時代にはなかった「異世代との学び」を通じ、「同じ目標」を目ざし学ぶ者同士に、年齢は問題でないという実感と、そんな学びへの心地よさを話されました。ご自身の将来設定に向け、授業はもちろん、周囲のみなさんの豊かな経験からも、多くを学んでいかれることが楽しみです。内田さんは最近、2つの同窓会に参加され、それぞれに懐かしい旧交を温めてみえました。70歳(古希)を迎えられた恩師を囲んでの同窓会はとりわけ、50名の参加者があり、きっとお話も弾んだことでしょう。また、学友のお一人が「名探偵コナン」の声優をされていることがわかり、同アニメの大ファンの酒井さんが思わず仰天。「世間は狭い(What a small world !)」というか、「偶然の一致(coincidence)」に私たちもまた驚きました。小枝さんは、コロナ禍で5年間中断していた「フレンドシップ・フォース(Friendship Force)岐阜クラブ」主催ホームプログラム再開での出来事を話されました。喫茶店で、8名の海外(台北)参加者と日本人参加者との集いがあったのですが、友好的で寛大な(open-minded)台北参加者と比べ、日本人参加者にはどことなくちぐはぐなコミュニケーションがあり、日本人にありがちな特性を感じざるを得なかったそうです。加えて、年齢からくると思われるコミュニケーションの難しさも垣間見え、外国人とのコンタクトこそ、日本人を知る貴重な機会になるとも感じられたようです。私は内田さんと同様、4月に教え子の同窓会があり、「アラフォー」の彼らと懐かしい昔話に花を咲かせることができました。そこで、一人の女子が話してくれた「花見合唱」のことを紹介させていただきました。ミレニアムイヤーの春、中3担任だった私は、学級開きからまもなく、ある女子生徒(Y子)の提案(≒発想)に驚きました。世間が「ミレニアム」という言葉に過剰反応していた当時、彼女は自己紹介で「3年2組を歴史に残る学級にしたい」と一言。担任の私以上(?)の熱い思いに、私もたじたじでしたが、その彼女が考える「歴史の第一歩(?)」として思いついたのが「花見合唱」。何とか持ちこたえていた校庭の桜の下、校庭にいる生徒はもちろん、職員にも「学級合唱」を披露しようという企画。とはいえ、学級開きから日も浅く、互いのことも、合唱のパートもよくわからない中、突発的な提案はすぐには級友に受け入れられません。めげない彼女はしかし、地道に同志(?)を増やしながら、あっという間にこれを「企画」に。学級の仲間の同意を得ると、同志とともに、思い当たる職員に、手書きの「招待状」を配布。昼休みの「その時」を、級友とともに待ちました。「絶対うまくいく。絶対成功させようね」。Y子らが級友に檄を飛ばしている間に、昼休みに興じていた生徒たちが「何が始まるんだ」と参集。職員室からも、招待を受けた職員はもちろん、少なからぬ職員が足を運んでくれ、3年2組の生徒たちは緊張の面持ちで、テレビドラマで流行っていた「明日があるさ」と「そのままの君で」を披露しました。合唱後、盛大な拍手をいただいた後、Y子は職員に次々にインタビュー。その一言一言をかみしめていましたが、音楽教諭M先生の一言に言葉を詰まらせました。こうして始まった一年間は、中3にありがちな山あり、谷ありでしたが、「あんな合唱ができた」という自負が、多くの難局を乗り越える礎になった気がします。折々にY子のようなヒロインやヒーローが現れ、学級を盛り上げ、心に残る卒業式を迎え、不惑を目前にした今、笑顔で同窓会で語り合える。これは「教師冥利」に尽きますが、すべては教え子とのご縁に尽きます。「還暦」を過ぎ、教え子への感謝がやっとわかった気がしますが、それはうれしくもあり、寂しくもあり。トピック「言語(language)」についてのイメージとして、酒井さんは「相互理解のツール」として、「勉強以上に大切」と一言。今は「グーグル翻訳」など便利なツールが多々あり、語学学習をしなくても、コミュニケションはできるが、やはり自分の言葉で、自分の学びで人と深くつながるために、語学学習は不可欠とまとめられました。小枝さんは「始めに言葉ありき(In the beginning, the Word existed.)」のごとく、人類史上に言葉が果たしてきた役割を話されました。古代、狩猟はもちろん、生命の危機回避の「サバイバルのための言語」、長じて、「文化や文明を次世代に引き継ぐための言語」など、言語の意味合いは少しずつ変化してきたものの、情報社会の進展とともに、今後さらに重くなっていくと考えられるといわれました。内田さんは「言語なしで自分の言いたいことをどのように伝えたらよいか」と考えた場合、その大変さは言葉にし難い。日本語を教える折り、相手により、使う日本語(のレベル)を変えるだけでも大変なのに、「言語がない」状況は想像し難いと話されました。私には、言葉は相反する「2B(Bridge & Barrier)」というイメージがあります。言語学習が広がり深まれば、それは私たちの味方、しばしば、武器になりますが、言語学習をしなければ、それは私たちの敵、少なからずネックになります。日々グローバリゼーションの波が押し寄せる昨今、その傾向に拍車がかかることは火を見るよりも明らかです。この類の話を私はしばしば中学生にしましたが、その効果は絶大で、彼らはすべてわかっていると再認識したものです。「言語がバリアになった経験」をお尋ねすると、酒井さんは「話し相手の母国語が英語ではなく、その英語力が今一つの時、コミュニケーションのバランスをとらざるを得ない場合」を挙げられました。相手が外国人の場合、私たちは相手に自然と「自分以上の英語力」を期待しますが、昨今はそうではない場合も少なからず出てくるでしょうね。一方、ご自身の英語でのコミュニケーションではバリアを感じたことはないとも。「英語を使う」を越え、「英語も使う」という心豊かなトータルコミュニケーションを心がけてみえる酒井さんの一端が垣間見えました。小枝さんからは「バリア」に関して、時の人「大谷翔平選手」の話題が。過日の一件をはじめ、言いたいことはあっても、英語で伝え切れなかいもどかしさが、彼にはあるかもしれません。ただ、彼の秀逸なパフォーマンスはもちろん、グランド内外における優雅な立ち振舞い、豊かな表情などは、ある意味で、英語以上に彼を雄弁に語っていると言えなくもありません。極論すると、「沈黙は金(Silence is golden.)」という面もあるような気がします。「言語に関する金言」では、小枝さんの「ラジオビジネス英会話」の導入部における、インストラクターのメッセージが印象的でした。以下に紹介させていただきます。①Persistence ②Self-Affirmation ➂Lifetime Friend ④Step by Step Forward。どこかでだれかに、同様のメッセージを聞いたことがメンバーもみえるでしょう。英語上達のためには、個々に適した「学習内容」「学習習慣」が不可欠ですが、その大前提として、①~④をはじめとする「学習原則」を自分のものとして「体感」できるかが大切だと私は思います。さらに「体感→体験→体得」ができてこそ、飛躍的な英語力が期待できるのではないでしょうか。とりわけ、➂にある「英語を生涯の友にできるかどうか」は最大のポイントにして、ネックになるはずです。人生の折々には、英語との関わり方が変化し、英語と疎遠になったり、何かのきっかけで英語と“絶交”することもあるかもしれません。いわゆる「友人関係」に溝ができたり、“ひび”が入りそうなとき、どのように「関係修復」を図ることができるか。そんな折、私の場合、「学習仲間」が大きな鍵の一つになっていた気がします。学生時代であれば、「ライバル」、職場では「英語科の同僚(含む、ALT)」、プライベートでは「サークル仲間」。「英語を生涯の友にする」とは言い換えれば、「英語を生涯の友としている仲間と積極的につながる」ことだった気がします。今はまず「CEC」を通じ、サークル仲間は言うに及ばず、英語との新たな付き合い方が見つけられたらと思わずにおられません。内田さんはご自身が主催されているサークルのご経験も踏まえ、「コミュニケーションとして英語を楽しむ」ために、「進歩(progress)」に増して、「過程(process)」の大切さを話されました。学校と異なり、個々に異なる目的で集うサークルにおいて、「過程」に注目することは、マネジメントの要諦だと得心しつつ、拝聴させていただきました。私は自身の「言語上達の礎」ともいえる「3C(Constant→ Consistent→ Confident)」を紹介させていただきました。言語上達に限らず、何事もすべてはまず「絶え間なく続ける(Constant)」ありき。そして少しずつ、自分なりの「3つのル(ゴール→ツール→ルール)」を見つける過程で、「量が質に転化していく(Quantity turns into quality)」ものだと思うのです。「言語を漢字一字で」は「小枝さん(知)」「内田さん(習)」「小野(始)」。言語あってこそ、個々の主観が客観(=可視化)でき、それが「気づき(awareness)」から「知識(knowledge)」となり、そこに人生経験が重なり、「知恵(wisdom)」になっていく。そう考えると、「言語表現の豊かさ≒人生の豊かさ」といわれる小枝さんのご意見は言い得て妙でした。さらに、長年にわたり、英語教育の第一線で活躍されている鳥飼久美子氏が一貫して唱えてみえる「わかりやすさ(intelligibility)」は実に示唆に富んでいますね。今現在、英語サークル主催はもちろん、日本語教育の研修にも参加されてきた内田さんのいわれる「習」はまさにご本人の現状を表されていると思いました。「始」を挙げた私の思いは、前述の「始めに言葉ありき」もありますが、種としての「人」として生まれ落ちた私たちが、身近な人々の言語の中で、少しずつ「人間」になっていく過程をイメージしたからです。言い換えれば、言語は人間(社会)そのものといえます。最後に、今回は私に「ズーム・フリーズ(Zoom Freezing)」が発生。第2セッションが記録できていません。多くの貴重なご意見をいただきながら、誠に申し訳ございません。あしからず、ご容赦くださいませ。