Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

8月21日活動報告

【前回(8月21日)CEC活動報告】

<参 加 者>4名(男性3名 女性1名)大口さん・鷲見さん・松本さん・小野

<活動時間>14:00~15:30

<活動形態>Zoomミィーティング 

 「東京五輪閉幕」後の余韻に浸る間もなく、日本列島を覆い尽くした「コロナ感染爆発」。20日からは、岐阜県を含む10県に新たに「まん延防止等重点措置」が適用されました。しかし、その勢いは一向に止まることを知らず、27日にはついに3度目の「緊急事態宣言」が発令されました。一方、全国各地で見られるようになった「医療崩壊」、新型コロナの切り札となるはずのワクチンの供給不足は私たちの日常生活に暗い影を落としています。そんな相変わらずの閉塞感の中、3週間ぶりのCECは、4名の参加者で相変わらずの時間を楽しむことができました。ペア&トリオで四方山話を楽しみ、5分間の小休止をはさんだ後、「(英語を)学ぶ動機」について、それぞれのご意見やご経験を話していただきました。大口さんはご自身の海外における「英語プレゼンテーション」が、英語学習の最大の動機になっているとのことで、その準備のための独学はもちろん、それを支えるスタッフの方々との英語を軸にした学びには、グローバルなロマンさえ感じられました。鷲見さんの「英語学習の動機」は「小学校時代」に遡り、そこに横たわるエピソードも傾聴に値するものでした。彼女と英語をつないだのは「家庭教師」。教える厳しさの一方で、英語の歌などを積極的に取り入れ、英語を学ぶ楽しさも感じさせてくれた先生との素敵な出会いがあってこそ、その後の鷲見さんの学びがあったのだろうと思えるエピソードを話していただけました。一方、私自身の「英語学習の動機」も「小学校6年生」のときの「家庭教師」ですが、鷲見さんとはかなり事情が違い、「所変われば」ならぬ、「教師変われば」と実感。そんな私の当時の先生は「南山大学国語学英米学科1年生」の女子学生。週1回のレッスンは先生の2階の部屋。毎回階段を上るたび、胸が高鳴っていたことを今でも鮮明に思い出せます。入口の戸を開けた途端、私を迎えてくれたのは、麗しい先生と小学生にはやや刺激の強い香水の匂い。それは当時の私には何よりの「英語学習の動機(?)」でした。「先生の前ではクールに」「そのためには英語を一生懸命勉強し、喜んでもらいたい」。頭と心が連動して、力以上のものが出せた気がします。鷲見さんの先生の厳しさ(strict)に対し、私の場合はただただ甘かった(sweet)英語との出会い。子どもっぽい同級生女子に目もくれず、先生との片思いにうつつを抜かし、それでもエネルギッシュに英語を学んでいた当時の自分を思い出すと、「外国語を学ぶためには恋人を作るのがベスト」という言葉もまんざらではない気がします。浮ついた私のエピソードと真逆だったのが松本さんのお話。米国の滞在においては、「英語が話せるか話せないか」は日常生活はもちろん、自身のメンタリティに多大なる影響を及ぼすことをいくつかのエピソードで語っていただきました。「英語が使えない=知性の欠如」という風潮下、「とにかく学ぶしかない」英語学習は、学校教育はもちろん、日本の多くの英語学習とまったく次元の異なる「英語学習の動機」だったはずです。実に貴重なお話を聞かせていただきました。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 7月スタートした「教える&学ぶ」シリーズの最終回は、個々の「英語学習歴」を具体的なエピソードとともに交流できました。話し合いを通じて、「学びの歴史や過程がまったく異なる私たちが今、CECという場を通じ、共に英語学習を楽しめている」ご縁の不思議さを感じるとともに、「(英語)学習の動機」は、心のアンテナ次第で、「いつでも、どこでも、だれでも見つけられる」と私は思いました。最後に「英語学習の動機」となっている(なっていた、なりそうな)何か(だれか)を一人一人紹介していただきました。大口さんは英文法やよりよい英語の話し方について声をかけてくださる奥様の存在を挙げられました。鷲見さんは「ティーム・ティーチング・パートナー」のフィリピン女性、さらにその方の旺盛な好奇心と前向きな人間性からの学びを挙げられました。松本さんは「米国の大学で一回り若い同級生にもまれる中、彼らに追いつくために必死で学んだご経験」を挙げられました。周囲に伍し、「平等(equality)」を勝ち取るためには、とにかく学ぶしかしかない。そんな覚悟とともにある英語学習の気迫がじわじわと伝わってきました。3つの「英会話サークル」で学ぶ私の「英語学習の動機」はやはり「ネットワーク」に尽きますね。各サークルに集う異年齢、異業種の方々の英語(学習)に学ぶことはそのまま、自分の英語(学習)を見直し、しばしば「自分自身」を見直すことにつながります。学びは「スキル」だけを意味するのではなく、個々の「人間性」もまた表現する。これが英会話サークルを渡り歩く私の持論です。