Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

11月6日活動報告

【前回(11月6日)CEC活動報告】

<参 加 者>4名(男性2名 女性2名)小枝さん・鷲見さん・松本さん・小野

<活動時間>14:00~15:30

<活動形態>Zoomミィーティング

 前回はZoomトラブルでスタートが遅れたCEC。今回は4名参加者を迎え、14時ジャスト・スタート。とりあえず一安心しました。久しぶりに参加された鷲見さんにまず近況を伺うと、二度目のコロナワクチンの副反応について、多くを語っていただけました。発熱に始まり、頭痛、食欲不振など体力消耗の激しい日々を送られていたことを知って驚くとともに、今はすっきりと体調が戻って、心機一転でCECに参加していただき、とてもうれしく思いました。小枝さんは「花フェスタ記念公園」で、バラ祭りを心行くまで楽しまれた話をされました。「世界に誇るバラ園を中心に、花による感動を伝える」というコンセプトのもと、まもなく「ぎふワールド・ローズ・ガーデン」に生まれ変わる同園を、快晴の秋空の下で散策された心地よさを伝えられた一方、ところどころに枯死しているバラを見かけ、近年の「地球温暖化」の影響が少なからずあるのではとのご意見もいただきました。松本さんは「スポーツの秋」を堪能され、日増しに寒さこたえる昨今ですが、ジョギングでいい汗を流されていました。私もそうですが、松本さんも「心身安定」というよりは「身心安定」。「体調を整え、精神を安定させる」ことに余念がないとお見受けいたしました。不安要素ばかりが渦巻き、絶望的な展望しか見えなかったコロナ禍ですが、新規感染者数が一気に減ったことで、私たちにも勝る安心感を与えてくれました。一気に減ったことで、私たちの生活も少しずつ変わってきているようです。まだまだ予断こそ許さないものの、いい意味で余裕を持ちつつ、慎重に今後の推移に注目していけたらと思います。時を移さず進めた「ペア・トーク」では、小枝さんから「眞子さん結婚報道周辺」の経緯と感想をお話いただきました。皇室という日本随一の「公人」の立場を離れ、小室圭さんのパートナーという「私人」におさまった眞子さん。メディアに始まり、SNSにおいても心ない中傷に晒された後に、「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断され、幸福の頂点から一変した時間を過ごされました。そんな苦難にありながらも、それを「心を守って生きるために必要な選択」を広言された眞子さんの心中をお察しする一方、眞子さんの言われる「守りたい心」「生き方」「逡巡された選択肢」についてはお聞きしたい気もしました。いずれにせよ、長い人生の大きな節目となる決断をご自身でされた勇気に敬意を表し、小室眞子さんの次の人生に末長い幸あれと願います。「ペア・トーク」後は小休止を挟んで、アインシュタインの名言「大切なのは疑問を持ち続けることだ(The important thing is never to stop questioning)」について、みなさんとともに考えました。オープニングは私が、自分の知識と経験から、この言葉について思考したことを述べました。「問うこと≒好奇心」という前提で話を進めましたが、子どもの頃は誰もが好奇心旺盛で、見るもの聞くものを問わずにおられない。ところが、そんなバイタリティを持ち続け、「問い(疑問、質問、反問…)」を続けられる大人の何と少ないことか。そのあたりを今回の話し合いの核に据えさせていただきました。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】

 幼少期の好奇心が失われていく原因…それは一言で語れるものではありません。ただ、「問うこと≒好奇心」という前提で考えると、「問うこと(問う子)が少ない」日本の学校現場に少なからず問題があると言わざるを得ません。「教師と生徒」という一方向で進むことが多かったかつての日本の学校現場。いわゆる「一斉授業」において、「問う教師」と「答える生徒」という暗黙の「役割分担」があり、それを覆してまで「問う生徒」が台頭するような雰囲気ではなかったのです。一方、英語圏を中心に、多くの国では「問う」「答える」の役割がボーダレスで、それが教師と生徒の双方向で機能しており、「問う生徒」がごく自然に生まれる土壌があるようです。加えて、論理を好み、自己表現を旨とする「欧米型国民性」と、情緒を重んじ、謙虚さを旨とする「日本人気質」では、DNAレベルで大きな差異があることは明白で、日々グローバリズムにあっても、それらは一朝一夕で解消されるものではないとの点で、みなさんの意見の一致を見ました。「学び」の本質は「学問(学んで問う)」。「学びっぱなし」で「問うことをしない」。「問いっぱなし」で「学ぶことをしない」。そのどちらも真に「学び」を実現したことにはなりません。とりわけ、「問うこと」なしには学びは広がらず、深まりません。学校教育においては、教師、生徒を問わず、より豊かな「問答」の主役になれるような授業を日々探求するのはもちろん、教師は生徒たちの興味関心を引きつけるような豊かな「良問」を発して、「問間聞答」による深みある授業を期待したいものです。