Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

7月23日活動報告

【前回(7月23日)CEC活動報告】

<参  加  者>4名(男性2名 女性2名)小枝さん・徳丸さん・長瀬さん・小野

<活動時間>14:00~15:25

<活動形態>Zoomミィーティング

 7月9日「Zoom無料版初挑戦」で苦戦を強いられたことが嘘のようにスムースに進行できた前回CEC。「スケジュール機能」を使えば、すべてうまくいくことがわかり、今後の目途が立ち、ひとまずほっとしました。メンバーのみなさんも「招待メール上の2つのアドレス(前半&後半)」を小休止中にクリック。今後もスムースなご参加をお願いいたします。近況報告では、「英語を話せるようになるために必要な資質は?」という視点から、小枝さん、長瀬さんから興味深いお話をいただきました。小枝さんは「ハワイに移住して8年の梨華さん」が、日常会話を折々の感情にまかせ、“Oh!”の一言で通し、今なお英語がほとんど話せないという話に始まり、かつて英国に長年滞在した知人が、やはり「日常会話レベル」を脱することが難しく、とくにリスニングにおいては、「わかったふり」をして過ごさざるを得なかった例を出されました。傍から見れば、「海外長期滞在」という恵まれた環境にあれば、もっと英語学習に打ち込めたのではとの歯痒さはあるものの、学生時代に英語学習とは縁遠かった知人が「日常会話レベル」は楽にクリアできている事実には一つの成果がうかがえるとのことでした。長瀬さんは著名な同時通訳者小熊弥生氏のエピソードから「私はできる(I can do it!)」の精神で英会話に臨む大切さはもちろん、豊かなコミュニケーションのためには、ときに「場つなぎ」のために「わかったふり」をしてでも、会話の流れを少しずつ軌道修正していくスキルを身につける必要があることを指摘されました。俗に言う「日本人笑い(Japanese smile)」とともにある「わかったふり」はいただけませんが、「生きたコミュニケーション」を維持するための「スキル」としての「わかったふり」は次元が異なるものだと私も思います。私自身は性格上、わからないときには聞いてしまう方ですが、今後「スキルとしてのわかったふり」も試してみようと思います。また、「日常会話レベル」以上の英会話力がなかなか定着していかない多くの日本人の問題点の一つとして、これまでもよく出てきましたが、「完全癖(perfectionism)」が話題に上りました。母語(日本語)での会話さえ、コミュニケーション能力不足を自認する日本人が多いのに、「英会話を完璧に(よりクールに、よりスマートに)」と考えること自体に無理があると再認識しました。古の諺「必要は発明の母(Necessity is the mother of invention)」を文字れば、「必要は向上の母(Necessity is the mother of improvement)」。仕事にせよ、プライベートにせよ、本当に英語が必要となる、究極は「サバイバル」がかかるくらいでないと、日本人の「完全癖」は払拭できないのかもしれません。CECメンバーにとって、「英語学習」は個々の生活に位置づくとともに、個々の心のあり方に何らかの影響を及ぼしているでしょう。「英語学習」は数ある趣味の一つではありますが、CECというプラットホーム上で、お互いの英語力、さらに、豊かな自己啓発につなげていきたいものです。

 

【前回反省と今後のCECに関する提言】 

 トピック「鉛筆の握り方」は、昨今の「鉛筆事情」からスタート。かつて私たちが慣れ親しんだ「HB鉛筆」に代わって、「B」「2B」鉛筆が販売の主流になっている昨今、子どもたちの「鉛筆の握り方」は様変わりし、「鉛筆の使い方」も下手になったことを、身近で見聞きされた方々がみえました。一方、大人世代も、パソコンやタブレットの普及により、鉛筆に代え、マウスの常用が増え、鉛筆の存在感は日々薄れるばかり。学校教育においても、パソコンやタブレットはもちろん、電子黒板の台頭など急激なIT化で、鉛筆はどんどん隅に追いやられています。老若男女こぞって「便利さ」を最優先させる風潮にあり、鉛筆はその役割を終えてしまうかのように思われます。「手は第二の脳」「手は見える脳」といわれます。「鉛筆習慣」を通じ、手を動かし、脳を刺激して、文字を綴り、思考を練り上げることは、時代がどう変わろうと、私たちには必要不可欠だと思えてなりません。人類が道具を作って、今日の文明を築き上げられたのは自在に使いこなせる「手」があってこそ。子どもたちには鉛筆はもちろん、粘土、積木、パズルなどの玩具を使いこなせる手を持ち、心豊かな創造性を育んでほしいものです。デジタル全盛の時代にあっては時代錯誤と思われるかもしれませんが、「オール・イン・ワン」ともいえるIT機器の恩恵にどっぷりと埋もれることなく、できるだけアナログ的ツールを使いこなし、回り道や迷い道を楽しめる豊かさを享受していく。その入口には「鉛筆」があると私は思っています。