Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

4月27日活動報告

【前回(4月27日)CEC活動報告】
<参  加  者>4名(男性3名 女性1名)加納さん・鷲見さん・徳丸さん・小野
<活動時間>13:00~16:00
<活動場所>ぎふメディアコスモス  2Fつながる読書の部屋

 前日(26日)のオープン・イングリッシュ・サークルで、別テーブルにおいて、「濃いメンバーの方々」と英会話(?)を堪能されていた加納さん。私は、遠くにいながら、その様子が何となく気になり、ついつい見入っていることもしばしば。今回のオープニングで、興味津々でその様子を聞きながら、「心地よい英会話」に必要なあれこれに思いを巡らせました。CECでもしばしば話題になり、今さら改めていうことでもありませんが、まず心がけるべきは「英会話=英語+会話」という大前提の大切さ。話に夢中になるあまり、思わず(または意図的に)日本語を使う(ときに多用する)。自分が英語にできない単語や表現をよく使いたがり、しばしば相手に依存する。そうした自身の身に丈に合わない英語を使うことは、しばしば相手に過度な気遣いをさせる。さらに、「初対面の相手に政治や宗教の話はタブー」はもちろん、日本語でも少し難しいような、おしゃべりの域を超えたトピックも考えものだと痛感しました。

1.グループ・チャット ☞80分

1)最近の私の英語(学習)エトセトラ
2)昨今、最も印象に残っている出来事・人物・番組・記事・スポーツなどは?
3)お好きなトピックで何なりと心行くまでどうぞ。

 令和スタートの5月に「古希」を迎えられる加納さんには、この半年間の様子を大いに語っていただけました。平成最後の年をある種の感慨とともに迎えられた加納さんの日常をうかがいながら、私は自身の日々のあり方を重ねていました。健康はもちろん、時間や身の回りのものすべてに至るまで、当たり前など一つもない。朝、目が覚める。元気に起き出し、今日もやることがある。何より、やることが自分のペースできちんとできていく。やれることを目の前にして、難しいとか、面倒くさいなどの御託を並べ、それらを成長のきっかけや糧にしない不遜。何気ないと思われる日常が、奇跡の積み重ねあってという事実に思いを馳せることもなく、感謝の心をなかなか持てない傲慢を正さねばと痛み入りました。「還暦」も視野に入った昨今、心したいと思います。スタート時の加納さんの貴重な体験が呼び水となり、よりよき英会話のあり方からCECのあり方、さらに、令和直前にあり、個々の来し方行く末などもざっくばらんに英語で語り合ううちに、”What is life (for) ?”のようなやや哲学的な話まで踏み込むことができ、私としては、知的に大いにインスパイアされました。今回は、これまでにも増して、英語学習のあれこれを交流することができ、平成の「英語しゃべり納め」ができました。人間の人生ステージ「生老病死」については、日本語においてさえ、改まって話すこと、話す場、話す相手がなかなか見つけられませんが、今回話の流れで思わず知れず、それらを自然に交流できたことに、私はメンバーの方々とのご縁を改めて感じるとともに、今後も同様の話がごく自然にできる関係をお願いしたく思いました。

2.“Incidental Free Chat”コーナー 
 テーマ:What do you think of “Globish English" ?

  小学校における「英語教科化」をはじめとする義務教育における英語教育推進の動きに連動するかのごとく、昨今の「英語ブーム」には目を見張るものがあります。「ネイティブ至上主義」ともいえるような「英会話重点主義」はもちろん、より実践を想定したマン・ツー・マン指導、さらに「三語で伝わる英会話」のような、インスタントな英語指導もまことしやかに行なわれています。玉石混交とさえいえる英語指導が、一世を風靡しては消えていく今の状況を、複雑な思いで見ている英語学習者はきっと少なくないでしょう。個々の能力や特性に応じ、自分に合った学習法を選択できるとはいえ、そもそも「自分に合った学習法」がわからない学習者の方が多いのではないでしょうか。そうした状況を話しながら、どんな学習法があるにせよ、英語を学ぶということは「学問に王道なし」を再確認すること。そんな意見にまとまり、その延長線上で、今では「非ネイティブの共通語(世界共通語)」として、とりわけビジネスの世界で広く世に浸透している「グロビッシュ・イングリッシュ」の是非について話すことができました。1500語と基本文法に制限したシンプルな英語は、実用面で一日の長があり、その学習効率においては、よいこと尽くめのようにも思われます。非ネイティブ同士のコミュニケーションが急増した「グローバル社会」では、その存在価値は増すことはあれど、薄れることはないでしょう。しかし、言語としての英語の存在を思うと、少なからず問題もあり、今後も何かと話題になりそうです。CECでも改めて話し合ってみたいです。