Chatty English Circle

"Chatty English Circle" の活動予定&活動報告を紹介しています。

12月21日活動報告

【前回(12月21日)CEC活動報告】
<参 加 者>3名(男性2名 女性1名)鷲見さん・谷本さん・小野
<活動時間>13:00~16:00
<活動場所>ぎふメディアコスモス 2Fつながる読書の部屋

1.アイスブレイク

1) 昨今、最も印象に残っている出来事・人物・番組・記事・スポーツなどは?
2)お好きなトピックで何なりと心行くまでどうぞ。

 13時少し過ぎに到着した私を見て、鷲見さんが戸口へ。毎回変わらぬ「時間行動」に私は恐縮するとともに、アイスブレイクでは、そんな彼女のパーソナリティの由来を少しずつお聞きしました。まずはやはり、ご家庭における「しつけ」。人との約束や集団行動における「5分前行動」を「習慣(できても当たり前≒できないと落ちつかない)」になるまでしつけられたご両親の存在が、そこにはありました。「しつけ」とは「仕付け」であり、その先に「躾(身を美しくする)」があると実感しました。時間行動を起点とした、大小さまざまなご家庭におけるしつけを強く後押しをしたのは、幼少時の習い事だった「日本舞踊」と聞き、意外でした。その指先にまで神経を行き渡らせつつ、大胆にして、優雅な所作を学ぶ日本舞踊。それを支える心のあり方を学ぶ時、時間行動はもちろん、多くの礼儀作法や行動様式が求められると知り、私自身は日本の伝統芸能の奥深さを再認識しました。「三つ子の魂 百まで宿る(The child is the father to the man./ As the boy, so the man.)」といわれますが、白いキャンパスに絵を描くがごとく、理屈(=言葉)でなく、身体(=心)で教えられる年齢で、子どもたちに社会生活の基礎基本を身につけさせていく大切さを思わずにおられませんでした。ご存知の通り、私も日本の伝統武道たる「空手道」を通じ学び、身につけた精神が、自身の日々の生活の折々に息づいていることをしばしば感じますが、家庭はもちろん、学校と地域、周囲のあらゆる環境が子どもたちに及ぼす影響、またその組み合わせの妙を思います。私たちの話題はその後、昨今の「学校教育」に進み、私がこのところしばしば目にする「青い目の中学生」から話が大きく展開しました。私が通勤途中、中学校前交差点で見かける彼は、一緒に登校する中学生と比べ、一際身体が大きく、窮屈そうにその身体を包む制服が似合っているようには思えません。しかし、交差点の向こうで、同級生たちといつもこぼれる笑顔を交わし、おしゃべりに興じる彼を見ていると、日本の学校教育のグローバル化が、日一日と進んでいると感じます。しかし、鷲見さんが懸念されたように、日本語によるコミュニケーションの困難さに起因する誤解や行き違いなどに始まり、「集団教育」をその土台とする、いわゆる「日本型学校教育」に対するアレルギーなど、教育現場に問題は尽きないでしょう。それが重なれば、「いじめ」「非行」などの二次的な問題の端緒となることも少なくなく、今まさに過渡期にある「学校におけるグローバル化」は問題山積です。さらに、彼らの保護者や家族の「就労問題」をはじめとする生活上のトラブルに踏み込むと、移民政策ともとれる昨今の政府の方針が、絵に描いた餅ではなく、計画的、継続的、発展的な「現実的政策」へと練り上げられていくことを願わずにおられません。このテーマが一段落したところで、外国人の生徒たちとは位置づけは異なるものの、すべての子どもたちの「学習権」保障を推進するために、昨今の学校教育で包括的に取り組んでいる「インクルーシブ教育(inclusive education)」に話が及びました。「障害のある者とない者とが共に学ぶことを通して、共生社会の実現に貢献する」という考え方に始まる「インクルーシブ教育」は、身近でも容易に見聞きするようになっており、鷲見さんには「八百津の小学校」における教育実践や、ご自身の中学生時代に「場面緘黙症」だった同級生との接し方の難しさ、複雑さをしみじみと語っていただくことができました。「本人のためによかれ」と思っていうこと、することが、思いがけない結果に終わったり、本人を追い詰めることにもなりかねない。そんなケース・バイ・ケースの事態が多々起こるだろう「インクルーシブ教育」には、遅々とした成果と膨れ上がる課題が予想されますが、「共生社会」という理想実現のためには、不可欠な一里塚であることに変わりありません。多難な試行錯誤を踏まえた上で、高邁な理想を実現すべく、学校現場はもちろん、地域社会もあげた総括的・抜本的な取り組みが求められます。教育という「ソフト」はもちろん、それを支え、その効果を最大限上げるための「ハード」の充実にも心から期待するばかりです。「障害のある者が障害のない者とともにいることで学ぶこと」はもちろん、「障害のない者が障害のある者の日々の生き方から、また、彼らを日々支援することから学ぶこと」を心豊かに育みたいものです。